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春もややけしきととのふ月と梅
芭蕉
月も潤みを持ち、梅の蕾もふくらみはじめて、春らしい景色になってきたなあ。
一句の要は《けしきととのふ》にある。自然の膳立てが調えられてきた気配が、表現されているのである。
麗しき春の七曜またはじまる
誓子
春を病み松の根つ子も見あきたり
三鬼
バスを待ち大路の春をうたがはず
波郷
女身仏に春剥落のつづきをり
細見綾子
少年や六十年後の春の如し
耕衣
春ひとり槍投げて槍に歩み寄る
登四郎
人は影鳥は光を曳きて春
永方裕子
《春》
陽春/芳春/三春/九春
立春(二月四日頃)から立夏(五月六日頃)の前日までをいう。
旧暦は一、二、三月。新暦では二、三、四月をいう。
クロッキー
悠
かたくりの花たよりなき日暮かな
花万朶すみに追はれて空の青
幾ひらの花を飾りの深大寺
夜桜やライトアップの裏は真闇
初蛙そのひと声の恋心
立春の風はや春の波立てて
陽春の日ざしに少し老い深む
感動の一句をどうぞよろしく。
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スレ主 一本勝負の悠 : 0 70代以上 男性 投稿日時:
死支度致せ致せと桜哉
一茶
〈俳句の裏技〉
俳句は写生だ、見たまま感じたままを書け、とはどんな俳句入門書にも書いてある。
では私は凍滝を見たか?
否、凍滝どころかふつうの滝すら、現実には見たことがない。
花鳥諷詠を旨とする流派がある。
それはそれで良いと思う。上手下手の差はあれ、誰もが滝を見て滝の俳句を作ることが出来るわけだ。
虚子の花鳥諷詠流は画期的に俳句人口を増やし、俳壇を席巻している。
それはそれでよい。
俳句結社という所へ入り、月謝を払えば、老後は誰もが俳人と称する詩人になれることになった。
妻子を捨て、寒暑に耐え、乞食のような苦しい人生探求の旅をせずとも、誰もが俳句を楽しみ、ボケ防止と団欒を兼ねた句会や吟行を楽しめるわけだ。
しかし、本当にそうか?
大結社の宗匠の息子や娘が跡目を継ぎ、詩人でもないのに看板を掲げて指導料をとる。
なんか、おかしいよ?
話が逸れたが、滝を見たことのない私が滝の句を如何にして詠んだか?
この種明かしが今回の裏技でしたね。
一言で言えば、俳句は創作~フィクションなのです。
写生はスケッチに過ぎない。
スケッチ出来ない場合は、写真や動画や文献や過去の名句などを材料として
対象の本質へ迫り、イメージを掴んでいくことです。
凍滝の生命感を鷲掴みにし、五七五の文字で再現することです。
〈三番勝負〉
小林一茶
1763-1828
江戸時代の代表的俳諧師。信濃の人である
〈一番〉
一村はかたりともせぬ日永哉
一茶
火の国の地鳴りに暮るる日永かな
悠
〈二番〉
蝶とぶや此世に望ないやうに
一茶
てふてふやあの世この世を往き戻り
悠
〈三番〉
夕ざくらけふも昔に成にけり
一茶
朝桜いのちびろひの空仰ぐ
感動の一句を教えてください。
今日の一句
母逝くや桜蕋ふる車椅子
カテゴリー : 俳句の相談、質問 スレッド: 感動の一句をどうぞ。