「納豆を百回まぜて春立ちぬ」の批評
回答者 みつかづ
こんばんは。貴句、拝読いたしました。
面白い句でございますね。
何度も、丹念に、粘りが出るまで納豆をかきまぜた。そこから「混ぜる音」、
「糸の伸び」、「時間の経過」が自然に立ち上がって参ります。
数を説明せず、時間を描いている点が秀逸ではないかと、私めは考えました。
また、情報量を極端に削ぎ落としていらっしゃるのも、
逆に面白さが引き立っていますよね。
場所:不明(=多くの読者にとって自宅)、食べ方、時刻、誰と:全て不明
なのに「納豆を混ぜている「私」は確実にそこに居る」、
「季節が変わった事だけは確定している」。結果、
「読者は自分の生活経験を代入する」、「句が個人の体験を越えて普遍化する」。
説明を削る事で想像を解放した好例ではございませんでしょうか。
最後に季重なり・季違いについて。
納豆は確かに「三冬・生活」の季語でございますが、貴句においては
まぜられている食材としての描写ですし、現代では一年中食べられますので
句中での季節感は弱く、歳時記にそのまま乗っているかどうか私めには
分かりませんが、「春たちぬ」が主季語なのは明白でございます。
「季違いの方法にはこの様なやり方がありますよ」との、
1つのお手本にもなり得るのではないかと、私めは思いました。
このまま味わいたいと、私めは思います。
次に、拙句「西明石望み止まれる寒波かな」にコメント、ありがとうございます。
https://weblike-tennsaku.ssl-lolipop.jp/haiku/corrections/view/33262
テレビ番組『プレバト!』で梅沢富美男特別永世名人がかつて、終助詞「かな」の
切れ字を使っては、夏井いつき先生から「ボツ」判定されていらっしゃいました。
故に、「終助詞「かな」を成功させるのって難しいな」と私めは認識いたしました。
ご提案の「名詞止」。無難に行く場合は私めも多用しますが、終助詞「かな」も
そろそろ適切に使える様になりたいという事で、練習として詠んでみました。
上代にはもっと柔らかい詠嘆の終助詞「かも」がございますが、
現代俳句で使われる事は殆どございませんので、使い分けられる俳人になりたいと
思っている次第でございます。
特に体言止は大切ですよね。映像のアップが最後に残りますので。
貴重なご意見、ありがとうございました。
以上でございます。お目通しいただき、感謝いたします。
点数: 1
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季重なりです。メインは、春立ちぬです。
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