俳句添削道場(投句と批評)
みつかづさんのランク: 師匠13段 合計点: 158

みつかづさんの俳句添削依頼

最新の投稿順に並んでいます。回答が付いた投稿が先頭に移動します。

炎天のリュックの氷走る子等

回答数 : 7

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ゆく夏や蜩交じる蝉時雨

回答数 : 5

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短夜の暴走族とサイレンよ

回答数 : 4

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帰省せり迎ふる祖母の小さき手よ

回答数 : 5

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梅雨明けは間近院長は勇退

回答数 : 2

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みつかづさんの添削

「滝落ちて独り占めする虹の橋」の批評

添削した俳句: 滝落ちて独り占めする虹の橋

こんばんは。以下にいただきましたコメントの返信です。以下長文ですがご承知おきください。
https://weblike-tennsaku.ssl-lolipop.jp/haiku/corrections/view/26700

「私は初心者ですので、季重なりは出来るだけ無いよう努めていますが」について。

ご自身の感動にウソをついてまで季重なりを避ける必要なんて全くありません。
そもそも季語は便宜上、人間が勝手に分類しただけなのです。
自然に存在しているものが季重なりになっている以上、素直に詠もうとすると季重なりの避けようが無い場合も往々にしてあります。
なのに無理やり季重なりを避けようとすると、変な句になってしまうのです。
「自分の気持ちに素直で適切な描写がされている」句が最良なのです。
避けるのであれば、成功させる為にはとても高度な技術と精度が同時に必要とされる擬人化。
次は、音読した時の韻律のリズムが悪化し易い中八、作者の感動がどこにあるのか読者に読み解きにくくなり易い三段切れなど。

次に、「「虹」を「にじ」の仮名にすると季語感が薄れると聞いたことがあるのですが」について。
結論から申し上げますと、そもそも仮名表記にして薄れさせる必要が全くありません。
何故ならこの貴句の場合、「滝」(滝壺)と「虹」はどちらも三夏の季語ですので、薄めたところで夏は夏なのですから。

次に、こちらのコメントへのお返事です。
https://weblike-tennsaku.ssl-lolipop.jp/haiku/corrections/view/26713

作句に心がけていることは
①出来るだけ二物の取り合わせにする
②なるべく切字を使う

結論から申し上げます。その様なものを心掛ける必要なんて全くありません。
何故なら、初心者が最初に取り組んで使いこなすべき基本形は「上五の季語+中七下五で1フレーズ」という、「季語と、それ以外の部分の取り合わせ」であり、厳密には二物の取り合わせ(二物衝撃)とは意味が異なるからです。
基本形を作句する場合は後ろ側から作り、それに適する季語を頭に持ってきますと作り易くなります。

切れ字に関してもそうです。
無理やり使うと三段切れになってしまったり、季語を邪魔したりする弊害があります。
活用語であれば終止形にする、活用が無い品詞であれば名詞や終助詞を用いれば、切れ字を使わなくても切れは作れるのです。
また、俳句の切れ字には詠嘆で強調するものが多いので、「切れ字を使わない方が上手くいく」ケースもよくあります。

最後に貴句、「滝落ちて独り占めする虹の橋」の添削について。

私を含めた他の読者に与えられている情報は、以下の2つです。
「滝と虹が季重なりになるか心配です」
「滝を見ていた時、滝壺付近に虹が見え、見ている人がほとんどいない状態でした」

以下、私の所感です。
「滝落ちて」は、滝なら凍ってない限り必ず水は落ちます。また、「滝から何か物や人が流れ落ちてきたの?」との誤解の原因にもなりかねませんので、「落ちて」は書く必要がありません。
また、「虹」は大抵が曲線を描いていますので、固有名詞や比喩(例えの事)でないなら、「の橋」は書く必要がありません。
「独り占め」は「独占」に代えると1音節約できます。

残った「滝」、「独占」、「虹」を何とか活かせないか。

時間帯、滝壺付近の虹と作者の位置関係、作者の状態・状況、僅かに見ている人達の状況や変化等の情報が無い為、強引ですが3つのケースを考えました。

A:滝に感動があるケース、B:虹に感動があるケース、C:滝と虹の両方に感動があるケース
口語の俳句を文語にして申し訳ありませんが、それぞれ書いてみます。
音は「ね」とお読みください。Aは上五字余りです。

A:滝見入れば靴の音知らず虹は出づ(季語の強弱。滝の方が強い)
B:我が足は遠つ滝壺見ゆる虹(季語の強弱。虹の方が強い)
C:休日の虹を独占滝の音と(季語の相乗効果。滝(の音)と虹のどちらも強い)

句意が変わっている可能性が高くて申し訳ありません。
私にできるのは、精々この程度です。
博充さんの思いに最も近いのは、きっとCだと私は思います。

A~Cの意味はここに書くと長くなりますので、別途お尋ねいただいた際には申し上げます。
今回は以上です。長文失礼いたしました。

点数: 2

「ドンと咲く花火が隠す好きの声」の批評

添削した俳句: ドンと咲く花火が隠す好きの声

たびたび失礼いたします。

山口雀昭さん。どうかご自身を責めないでくださいね。くれぐれもお願いいたします。
私は迷惑とも、不快とも思っておりません。

ただ、文字だけの世界で表情や声のトーンがお互いに分からないのがインターネット上ですから、先程の私の意見の書き込みがキツく感じられたのであれば、こちらが寧ろ申し訳なく、言葉を適切に選ぶべきだったと反省しております。

山口雀昭さん。
ひょっとして2019年の秋にHAIKU日本大賞で秀逸賞に選ばれておられませんでしょうか?

季語が全く無いとは、明らかに雀昭さんらしくないミスだな。忙しかったり、体調が優れなかったりはあるのかもしれない」と私は思っただけで、決して迷惑とも、不快とも思っておりません。

受賞歴などを度外視して考えても、雀昭さん、他皆さんは私よりも上手な方がここには多数いらっしゃいます。上手いな、その上手さを私の言葉では表現できないなと思った句には、私はコメントできないタイプなのです。なので、雀昭さんの句には私のコメントは殆ど無いと思います(だからこそ、句そのものに「いいね」ボタンを管理者さんに付けてもらいたい)

これからも、様々な忌憚なきご意見を賜ります様、よろしくお願いいたします。

点数: 0

「ドンと咲く花火が隠す好きの声」の批評

添削した俳句: ドンと咲く花火が隠す好きの声

こんにちは。貴句、拝読しました。

擬人化は絶対ダメとは申しませんが、俳句の数ある技法の中でも、擬人化は特に難しい類です。
今回の貴句の場合は擬人化する必要性が薄い(普通に書いても何の支障も無い)ので、あらちゃんさん、おかえさきさん、めいさんの案に私は賛成です。

次に、拙句「炎天のリュックの氷走る子等炎天のリュックの氷走る子等」へのコメント、お忙しいところありがとうございました。
https://weblike-tennsaku.ssl-lolipop.jp/haiku/corrections/view/26713

せっかくご提案いただいた「水筒の水がタプタプ走る子等」についてですが、気に入る・入らない以前に「あれ? 季語どこ行った? 炎天も氷水も無い」と私は思いました。

コメントから「もしかして水筒? でも水筒って季語ではない筈。冬に温かいお茶淹れて持っていくよね」と思い、手持ちの季寄せ『新版 角川季寄せ』(2024年1月24日 初版発行)で調べましたが、水筒は季語として載せられていませんでした。

また、「氷」は仰る通り晩冬の季語なのですが、屋根や軒下に氷柱として垂直に張ったり、氷そのままでしたら水面(池、流れが緩やかで小さな水路など)や地面(水溜まり、橋、高架橋の上など)に平たく張りますよね。もしくは冬の屋外スケートリンク場でしょうか。
ですが「リュックの氷」とありますので、「リュックの中に自然の氷なんて張るの? 人間が水を凍らせて作った小さな氷がリュックに入ってるんじゃないの? けど、そのまま作った氷を入れたらリュックの中が濡れちゃうし、氷も融けちゃうよね」という事になります。
という事は、「頭に季語「炎天」があるので、リュックの中に何等かの容器が入っているんだろう。そして、氷はその中に入っている。即ち、ここでの氷は「氷水」と解釈するのが妥当ではないか。氷水なら容器は水筒が適している。また、そんなに暑くない季節なら水筒に氷なんて入れないし、寒い季節なら、そもそも水筒の中身は温かいお茶、ホットティー、ホットココア、ホットコーヒーになるよね」という事なのです。

季語の表面だけをなぞるとおかしく見えますが、その季語に省ける動詞(氷なら「張る」、花なら「咲く」、汗なら「かく」、法師蝉なら「鳴く」は不要。張らない氷、咲かない花、かかない汗、鳴かない法師蝉があるなら持ってこいと言われます)や本質まで考えますと、「ここでは「氷水」と書かなくても「リュックの氷」で、「リュックの中にある水筒の中身の氷だ」読者が読み解く事は十分に可能である」と、流石にどちらかの季語は必要ではないかと(この場合は炎天が主なので、そちらを残す)、私は判断いたしました。

以上です。

点数: 0

「炎天や現場に響くファンの音」の批評

添削した俳句: 炎天や現場に響くファンの音

こんにちは。コメントでは「初めまして」ですね(いいね💓は押しております)。
貴句拝読しました。

季語」炎天と現場とファンですので、まず、場所は真夏の昼の屋外ではないかと私は考えました。
そこから想像されるものであれば、現代風であれば作業着についているファンでしょうか。
他に考えられますのは、工事現場の発電機などで使われるファンベルトの略でしょうか。ですが、「「響く」を考えると、あれはエンジン音が大きいのであって、ファンベルトが擦れる音ではないから、なおじいさんであれば下五は「エンジン音」等と書く筈」と私は思いました。
また、送風機も一応は考えましたが、それならば下五に「送風機」と書くだけで表現できますので、それも薄いと私は判断いたしました。
さらに、現場であるなら仕事でしょうから、ハンディファンは無いでしょう。「片手で現場仕事なんてしますか?」となりますので。

以上の事から、作業着についているファンであると私は考えましたが、そうであればファンの音と単語の意味を考えると、「響く」は流石に大げさではないか?と私は思いました。
「響く」に替えて「幾つ」、「百の」(←現場の規模によります→)「千の」、「数多」、「多数」等であれば、より句に適しているのではないか、との判断です。

今回は以上です。今後ともよろしくお願い申し上げます。

点数: 1

「涼風や山間の茶屋にぎはへり」の批評

添削した俳句: 涼風や山間の茶屋にぎはへり

こんにちは。たびたび失礼いたします。
長文になり恐縮ですが、コメントへのお返事いたします。

1:81歳になった今年の2月より俳句を始め~今更俳句が上達するか不安を感じています

とても素晴らしい事ではないでしょうか。
結論から申し上げますと、不安になる必要はございません。ご安心ください。
何故なら、俳句は「結晶性知能」、つまり語彙力や一般的な知識、一生の経験や学習から得られる知識や技術などを使い、「感情的知能」、つまり感情の認識、感情の理解、感情の管理など、自分自身や他人の感情を理解し、適切に反応する能力を使うからです。
これらの知能は流動性知能(情報処理速度、短期記憶)や身体能力とは違い、高齢になられてもあまり(人によっては殆ど、全く)低下しないのです。
また、言語技術、新たな技術の習得、新たな記憶の形成は、高齢者にもできるとの研究結果が出ております。
ですので、ご高齢になられてから俳句をお始めになっても、上達はできます。
高齢になられてからパソコンを始めて、MOSの視覚をお取りになった方がいらっしゃる位ですから。

2:藤田湘子の本を参考に学んでおります

具体的な書籍名をお尋ねしてもよろしいでしょうか?
藤田湘子が著作した本なのか、それとも藤田湘子の作品や解説が書かれた本なのかによっても変わってきます。また、入門書も数多く出されていますが、「どの様な内容か?」の紹介が全くありませんでしたので私には内容が分かりませんし、今の博充さんのレベルに適していない本だとすると、学習意欲がおありでも理解が難しいのではないか? 理解が難しいと挫折してしまわないか心配だ、とも私は思う訳です。

私はテレビ番組『プレバト!』の俳句コーナー、YOUTUBEの『夏井いつき俳句チャンネル』(俳人の夏井いつき先生のチャンネル)を観ております。以下、URLです。
https://www.youtube.com/@natsui_haiku

3:他の方の作品を添削することの是非については、まだ判断がつきかねています。

私は、他者の作品を添削すると良い等とは一言も書いておりません。
そもそも、添削は難しいのです。何度も申し上げております様に、添削とは作者の思い(句で何を伝えたいか?)と句の字面を比較し、句に言葉が少なければ「添」える、多過ぎれば「削」る。それが「添削」なのです。改作とは違うのです。そもそも初心者に過不足の判断できますか? という事です。

私が書いてお伝えしたかったのは、他者の作品を鑑賞し、博充さんなりにお考えになった感想や率直な疑問点をお書きになると良いですよ、という意味です。
私の「炎天のリュックの氷走る子等」にお礼のお返事を書いてくださいましたよね。
https://weblike-tennsaku.ssl-lolipop.jp/haiku/corrections/view/26713

私のこの句に、疑問点や感想は抱きませんでしたか?
それを率直にお書きになって良いのです。
例えばこの句で、「リュックの氷」が何の事か分からなかったとして、「リュックの氷とは具体的に何ですか?」と質問しても、恥でも何でも無いのです。
また、以下の「ゆく夏や蜩交じる蝉時雨」は、季語が3つ入っています。
https://weblike-tennsaku.ssl-lolipop.jp/haiku/corrections/view/26700

「基本では、「季語は1句に1つ」と習いました。ですが、この句には季語が3つも入っており全てが漢字での表記、更に季節も一致しておりません。「これで問題無い」と判断した理由は何ですか?」などの疑問を持っても何の不思議も無いのです。

「聞くのはいっときの恥。聞かぬは一生の恥」であり、それで博充さんを笑う人間なんて放っておいて良いと私は思います。

繰り返しますが、お礼だけではなく、その場にある句の感想や疑問もセットで書く。これが大切ですよという事です。

4:今後ともご指導いただければ幸いです

申し訳ございません。
私には他者の「指導」はできかねます。そもそも、私は指導レベルに達しておりません。
寧ろ私が指導を受けたい位ですよ。
私ができるのは「助言」、「アドバイス」、「一緒に考える」。
これでよろしければ、今後もよろしくお願い申し上げます。

最後に、貴句「涼風や山間の茶屋にぎはへり」について。
昨夜寝室で考えましたが、例えば以下の様に書いてあったとしますと、コメント来るのではないでしょうか?
A 涼風や山間茶屋に客は増え
B 涼風や山間茶屋の客は減り
C 涼風や山間茶屋ににわか雨
D 涼風や山間茶屋にスズメバチ

A~Dは全て、作者の心情変化、時間帯、様子を読者が想像できるのではないでしょうが?
例えばAでしたら「その茶屋は老舗かもしれないな」、Bでしたら「お客さん減ったの? という事は時間は夕方なのかな。作者もこれから帰るのかな」の様に読者は考えてくれるのではないかと私は思います。

今回は以上です。
長文失礼いたしました。

点数: 0

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