「海に春残したままの住民票」の批評
添削した俳句: 海に春残したままの住民票
凡さん、お早うございます。貴句、拝読いたしました。
「無念の思い、望郷の念が胸に強く有るのだと思います」、
「次の世代に語り継ぐことになる…と思い」は句面からせつせつと
伝わって参ります。
このサイトの仕様上、前書きを書けないんですよね。
ですので、せめてもの代用として作者コメントにお書きになる方が良いでしょう。
この点は私めも慈雨さんに同意いたします。
また、語順が惜しいなと私めは思いました。
この語順では「情報の逆流」が起きております。
具体的には、カメラワークが「海」から「住民票」へとズームして終わります。
この順では、最後に残る残像が「行政書類(住民票)」という無機質な名詞に
固定され、季語「春」の持つ「再生と拒絶の混濁した質量」が霧散してしまい、
「春」という季語が持つ、再生と残酷さが同居する膨大なエネルギーが
事務的な手続きの影に隠れて、読者の脳内に正しく展開されにくいんですよね。
上記より、私めからの添削提案は、「語順の入れ換え」です。
具体的には、住民票のアップから入ります。助詞も1ヶ所変えますね。
・住民票海の残したままの春
これで、「住民票」という動かしがたい現実からカメラワークが始まってカットが
切り替わります。そして、最後に時候の季語「春」で着地して、美しくも残酷な、
そして止まる事の無い時間の象徴へと視線を移して閉じる。
結果、17音の中に「15年という歳月の厚み」と「終わらない望郷」が、
巨大な空白を伴ってパッキングされる訳です。
また、「海に」ですと場所になっちゃうのですが、「海の」でしたら
海は単なる背景(座標)ではなく、
「春をそこに留め置き、返そうとしない巨大な主体」へと変わるんですよね。
句の中に、「抗いがたい運命(歴史的真実)」の質量もパッキングされます。
これが「語順の大切さ」、「助詞1文字の大切さ」の
1つの形ではないかと私めは考えます。
以上でございます。お目通しいただき、感謝いたします。
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