俳句添削道場(投句と批評)
みつかづさんのランク: 師匠48段 合計点: 263

みつかづさんの俳句添削依頼

最新の投稿順に並んでいます。回答が付いた投稿が先頭に移動します。

雑踏に色幾つある日傘かも

回答数 : 7

投稿日時:

炎天の渋滞死せる冷房よ

回答数 : 6

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冷房よ炎天の渋滞に死す

回答数 : 0

投稿日時:

我が家へと駅より至る登山道

回答数 : 5

投稿日時:

ベランダの小さき蜘蛛の巣切れにけり

回答数 : 2

投稿日時:

みつかづさんの添削

「夏の星明日のパンを提げながら」の批評

添削した俳句: 夏の星明日のパンを提げながら

こんばんは。貴句、拝読しました。

…って、ええっ!?
たった今、明日食べるパンを買いに行って帰ってきたところですが、
私の行動、何故バレてるんでしょう?(笑)

めいさんの句と私の行動が同期しました。

句につきましては、作者コメントとの乖離は無いと私は判断しました。
このまま味わいたいと思います。

そして、以下は決して添削案ではありません。返句です。
ダメだ。私はめいさんに隠し事はできない(笑)

短夜や明日の朝食むチュロッキー

以上です。ご覧いただきありがとうございました。

点数: 1

「一助にと水筒譲る登山道」の批評

添削した俳句: 一助にと水筒譲る登山道

頓さん、コメントありがとうございます。
まずは、お気持ちが少しでも落ち着かれてから、
ゆっくりお読みいただけましたら幸いです。

今回はご指摘への「ご返信」というより、考え方の違いに基づいたご意見として
書かせていただきます。互いに学び合える形で進めていければと願っております。

【1点目:雑踏という語について】
ご指摘の「雑踏」という語の意味について、私は当然、使用前に辞典で
調べております。「人混み」との違いについても、表層的な意味だけでなく、
語源的なニュアンスも確認の上で使いました。

具体的には、「雑」は「入り混じる・整っていない」、「踏」は
「足で踏む・地を踏む」などの意味があります。そうした構成から、
「雑踏」には単に混雑した空間以上の「場」的な含意を感じています。

また、雑踏警備に関わった実務経験からも、雑踏という語には空間・場としての
特性があると実感しております。もちろん、辞典上の定義と語源や現場経験からの
理解の間には幅がありますが、その違いを伝えたかったという事です。

【2点目:ご自身の発言の引用について】
「初学であろうが、ベテランであろうが、矜持があるからこそ人は成長するもの」と
書かれていた事は、しっかり拝見しております。
その上で、私は引用の形で紹介し、共感と敬意を込めて書かせていただきました。

その点が伝わらなかったのであれば、私の表現が未熟だったかもしれません。
誤解を招いたとすれば、それは本意ではございません。

【3点目:「貶めた」とのご指摘について】
私は、句の技術的な分析において評価や批判を行うことはありますが、
それは句に対するものであり、作者の人格や人間性そのものを
評価する意図は一切ありません。

「この句は技術的にこうである」、「ここの解釈に難がある」といった
見解を述べることが、即座に「貶め」になるとは考えておりません。
また、他の作者の句を称賛したとしても、それは技術や発想に感銘を受けた結果で
あり、他者と比較して「誰かを下げる」事を目的にしている訳ではございません。

もしその点が曖昧に見えたのであれば、それは今後の課題として
丁寧に整理していく所存です。

【4点目:「自分は絶対正しい」という前提について】
私は、自分の意見を絶対視しているつもりはありません。寧ろ、こうした俳句の場に
身を置いているのは、自分の視野や視点を広げる為です。

私の意見が全て正しいなどとは考えておりませんし、受け手の皆様には
それぞれの解釈や判断があります。私の意見も一つの視点に過ぎず、常に見直し、
修正の余地があるものです。

【最後に】
ご指摘において、もしも私の姿勢や表現が不快に映った部分があれば、
それについては真摯に受け止めます。その上で、必要なのは「論理と敬意を持って
考えを交わす事」ではないかと私は考えます。

俳句という表現世界において、句そのものに向き合い、
学び合いながら高め合っていく。
その為には、違う意見や読み取りがあって当然であり、
そこから対話が生まれる事が大切ではないかと感じております。

繰り返しになりますが、私は頓さんを攻撃するつもりなど一切ありません。
どうか、その点だけでもご理解いただければ幸いです。

以上、長文失礼いたしました。

点数: 0

「豪商の私邸を飾る京鹿子」の批評

添削した俳句: 豪商の私邸を飾る京鹿子

こんにちは。貴句、拝読しました。

中七の「飾る」。
別のフレーズ、例えばゆきえさんが仰った満開なども考えられますが、
ワザとそうなさらなかった理由は何か? と字面から私なりに考えてみました。

花言葉の「質素な美」、「密かな恋」、「努力」、「無益」、「儚さ」。

豪商の私邸(個人が所有している大きく立派な家。お邸)なので、無益とは
ある意味では矛盾しているのですが有益な面もありますし、
豪商になる為に努力とは密接な関りがあります。質素な美も在り得ますよね。
そして、「密やかな恋」だとすると、飾りたくもなりますよねという事ですよね。

なので、それを踏まえた動詞「飾る」だと寄り添うと、
句の字面と作者コメントの乖離が無いので、添削の必要が無い事になります。

何でしょう。美しい反面何か良い意味でクスッと笑える句なのかと、
このまま味わいたいと私は思います。

次に拙句「雑踏に色幾つある日傘かも」にコメント、ありがとうございます。
https://weblike-tennsaku.ssl-lolipop.jp/haiku/corrections/view/31241

せっかくのご提案に沿えず申し訳ありませんが、意図がございます。
拙句の中七。
ここはワザと断定の形を避けました。
と申しますのは、句末の柔らかい詠嘆「かも」と相まって、
読者が「色幾つある?」と変換して解釈できる様な余地を残して、
私の内面の揺らぎの表現としてのフレーズにしたかったからなのです。

詠嘆の終助詞「かも」は俳人にはあまり馴染みの無い単語かもしれませんが、
有名な古歌には、例えば小倉百人一首の阿倍仲麿の短歌。
天の原ふりさけ見れば 春日なる三笠の山に出でし月かも

また、万葉集だと志貴皇子の短歌。
石走る垂水の上のさ蕨の萌え出づる春になりにけるかも

これが、いわゆる終助詞「かも」の詠嘆の例です。
この2つの短歌。同じ詠嘆でも「かな」に替えますと、違和感出ませんでしょうか?

終助詞「かも」は後の時代には終助詞「かな」に取って代わられましたが、
微妙に詠嘆を弱くしたくて、俳句ですけど今回は「かも」を採用し、
中七も断定形を避けたという経緯です。

以上です。ご覧いただきありがとうございました。

点数: 1

「花弁に花弁の影蓮の花」の批評

添削した俳句: 花弁に花弁の影蓮の花

こんにちは。貴句、拝読しました。

一物仕立てでしょうか。
蓮の以下の花言葉まで考えた時に、バシッと胸を打つものが私にはありました。
・清らかな心、・神聖、・沈着(蓮全体)
・純潔、潔白(白)
・信頼(ピンク色)
・誘惑(黒色)
・宝石、燃え盛る炎、紅蓮地獄(赤色)
・清廉潔白(青色)
・救ってください
・離れゆく愛

季語が主役でありながら、作者のめいさんのお心の揺らぎも多く
内包なさっておられ、ガッツリ私には雪崩れ込んで参りました。
これも「めいさんワールド」の魅力の1つですよね。

ステキな句ではないかと、このまま味わいたいと、私は思います。

次に拙句「雑踏に色幾つある日傘かも」にコメント、ありがとうございます。
https://weblike-tennsaku.ssl-lolipop.jp/haiku/corrections/view/31241

景がお見えになったという事で、ホッとしております。
中には「観念句でありながら、観念そのものを写生した句」もありました
(炎天の渋滞死せる冷房よ)。

・論理的に説明できる句でないと駄目ですか?

ダメという訳では決してありません。そこは誤解無き様にお願いしたいところです。
その上で、これは「私の思考の癖」の様なもので、句の字面と作者コメントで
示す句意との差を縮める、無くすという過程を経る為に、
どうしても文学的論理に立脚せざるを得ないという、俳句、短歌などの
詩的文学の制約上の課題によるものです。

めいさんの句にはそれを超越なさったものがおありで、例えば
港区女子の句、野蒜の句、できちゃった句。
あれはもう、冗談抜きでパソコンの画面の前で私は大笑いしておりました。
「めいさんワールド」は時に読者の感情を大きく揺さぶりますし、
時には良い意味で「読者は考えさせられる」という、本当に俳句を無意識のうちに
文学として表現なさっているのが伝わってくる様です。少なくとも私には。
(後者はグリ下の句、パワハラの濡れ衣着せられる句など)

しばらく離れますが、症状が治まり次第また戻って参ります。
めいさん節を何度でも見たいです、私は。
勿論、他の作者様の句もステキな句多いのですが、句そのものに「いいね」ボタンが
ありませんので、「ステキな句だな」と思っても迂闊な事は書けませんので
スルーせざるを得ないのもまた、ここの制約がキツい所ではあります。

以上です。ご覧いただきありがとうございました。

点数: 1

「一助にと水筒譲る登山道」の批評

添削した俳句: 一助にと水筒譲る登山道

再来失礼いたします。長文、お含みおきください。

拙句「雑踏に色幾つある日傘かも」にコメント、ありがとうございます。

①句の構造について
句意に都会と書いてしまいましたが、実は都会である必要性は無く、読者が
追体験する場合に個々が思い描く雑踏でいいですよ、との含みです。

上五の「雑踏に」について。
人混みは状態。
つまり、「人々で混雑している様子」に軸足が乗っているニュアンスになります。
雑踏は場所。
つまり、「人々で混雑している場所」に軸足が乗っているニュアンスになります。
「雑踏警備」というお仕事がありますが、それは場所を警備しているのであって、
状態を警備している訳ではないのです。
実際、警備員として雑踏警備も担当させていただいておりました。

中七の「色幾つある」について。
頓さんのご提案「数多の色の」、あらちゃんさんのご提案「色数多なる」に
しなかった理由は、「色幾つある?」と読者が変形する解釈を可能にして、私の
内面の揺らぎを表現する為のフレーズとして機能させる意図を持つ表現で、
「確定的に書きたくなかった」という事です。
確定的なフレーズにしてしまうと、私の「内面の揺らぎ」が表現できませんので。

終助詞の詠嘆を「かも」で弱めたのも同じ理由です。
「かなだと詠嘆として強過ぎるかな」という、微差かもしれませんが、
俳句は17音という字数制限がきびしく、句の繊細な部分をどの様に表現するか? 
との私なりの思考錯誤です。

②私の休止について
私の趣味は頭を酷使するものばかりです。
「気分転換の為にしているのに、疾患による思考抑制で頭痛に
悩まされている」状態なのです、今。
その状態が収まれば、また顔を出せる様になると思います。

③句の読み解き・読解と添削、改作(改悪も在り得る)の違いについて
句の読み解きの際は、私はですけども、自身の先入観を捨てる為に、
少しでも自信が無いなという所は必ず辞典で単語の意味を確認して、
私の感情を一旦脇に置いて句の字面を字義通りに読み解き入れて解釈して、
そこから句から受け取る私自身の感情という思考の道を辿り、
そして作者コメントと句の字面を比較して、
「句で作者が表現なさりたい事と、作者コメントの内容が意味的に乖離がある。
作者コメントを拝見すると、本当はこうお詠みになりたかったのではないか?」と
私なりに推察を入れて添削案を考えている訳です。

そうしないと改作になってしまいますので。
でも、改作は作者の持ち味をブチ壊してしまい、
句から作者の個性を消す事になってしまいます。それは悪いとの判断です。
(『俳句添削道場』は往々にして改作が横行しておりますが、
「それは本来のこのサイトの在り方でしょうか?」というのが、
私の率直な疑問です)

ですので語の意味、文法、句の意味的な型(意味の切れ目)、季語の働きなど、
「句の構造の理解」から本来は読み解きを始めるべきではないか?
というのが私の考えです。

イサクさんには申し訳ありませんが、書きたくないですが
敢えて書かせていただきます。
解説の部分は確かに上手い方ですが、これは良くない例です。
拙句「炎天の渋滞死せる冷房よ」
https://weblike-tennsaku.ssl-lolipop.jp/haiku/corrections/view/31210

添削提案
・冷房の効かぬや都心環状線
・エアコンの死よ炎天の社用車よ
・車は進まず冷房は働かず

全て改作になっております。
「面白くないとお思いなのは構いませんが、その添削提案は全て却下いたします。
この拙句は、自分の気持ちを唯物視した「感情の写生句」です。ですので、道路が
何処か、社用車かどうか等は読者にとっては正直、世界一どうでもいい事柄に
なります(私は個人事業主でしたので社用車ではなかった)。

イサクさんは説明的と仰いますけど、それは句の核心が確実に読者に伝わっている
場合に限って成立する技術論ですよ? 拙句はそうなっておりせん。
句の核“嘆きの層構造”まで辿り着いてのご意見でしょうか?
また、炎天も冷房もどちらも季語だと存じて使っております。この句の季重なりは
季語の主従関係と季語同士の相乗効果のダブルの意味がありますが、
そこまで読み解いておいでしょうか?
夏井先生のご意見を盲信されておられませんでしょうか?」となる訳です。

一方、独楽さんの添削提案は以下です。
・炎天の渋滞空調の息よ

私は一読で、「私の心理の変化(暑さ→壊れる→絶望)、時間の経過(句跨り)、
擬人化の語り口(死んだ冷房)。
これらを全て読み取った上で、「息よ」との表現に落とし込んでいらっしゃる。
語を削ぎ落としつつ、「私の感情」の量は減っても質は維持している」と
判断できる訳です。
これこそが、添削です。

頓さんの句にも持ち味があり、「頓さんワールド」がある訳ですから
それを壊すのは良くないと、私は考えております。

蛇足ながら私の「みつかづワールド」ですが、俳句に西洋哲学の思考法である
「唯物弁証法」を用いて命題(テーゼ)と反命題(アンチテーゼ)との
対立・矛盾から新しい理解・結論・真理(ジンテーゼ)を導き出し、そこに
心理学的な要素も追加して、読者に考えさせるという作句スタイルです。
なので難しく見えてしまいますが、丁寧に読み解いていけば、
句意に辿り着けなかったとしても考える事、
読み解こうとする事自体に意味が有りますよ、という事です。

本線に戻ります。
句の解釈は各々自由ですが、自由にも責任が伴います。人様の句を添削するとは、
他者様の句を触る訳ですよね。
句意をほぼ正確に理解していないのに迂闊に触ろうとすると、
改作や改悪にならざるを得なくなります。

頓さんは「初学者です」とご謙遜なさっておいでですが、私よりも点数はずっと
上位ですから、「そろそろ周りはあなたを初学とは見なくなっておりますよ」という
客観的段階に達しており、「句の構造的理解」が必要な段階かと思われます。

そして、以前別の方に「矜持」、「自尊心」のお話なさっておられましたよね。
それら自体は大切になさっていただきたいのです。それが頓さんの持ち味ですので。
ですが、「それは他者も同じですよ」との視座が欲しい訳です。

そして、俳句は詩歌の文学、芸術ですので、文字に書き起こす際、読解の際は
観念・感情ありきではなく文学的論理(文法、俳句の意味的な型、季語の意味と
働きを総合的な構造として捉える思考)ありきなのです、
実は。
何故か?
日本語を使っている以上、単語の意味を正しく理解していないと
詠みも読み解きも上手くできる訳無いからです。

酷暑の候です。どうぞご自愛ください。
以上です。ご覧いただきありがとうございました。

点数: 2

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