「三月やクロスワードの空いたマス」の批評
回答者 田上大輔
添削した俳句: 三月やクロスワードの空いたマス
慈雨さま
「椿」の句で、どうしてもお尋ねしたいことがあり
再訪いたしました。実は「椿」の句は当初
「落ちそうな椿に雨の一雫」
でした。「落ちそうな」が説明的なのでそれを解消すべく
こねくりまわしました結果(頓様ご指摘)投稿した句になった
次第です。
この句も類想の句には変わらないのですが、この句で
目論だのは、「落ちそうな椿」が「雨の一雫」で
「ついに落ちてしまった」と読者に想像してもらえるのでは?
ということです。
そこで、お尋ねなのですが、俳句は見た瞬間を切り取ることが
一番ですが、「次の瞬間を想像してもらう」ということを期待して
俳句を作ることは「アリ」なのでしょうか?それともこれは
やはり「作為」と呼ぶべきなのでしょうか?
このあたりをご指導いただければ幸いです。
よろしくお願いします。
点数: 1