「肩車見上げた滝のしぶき浴び」の批評
添削した俳句: 肩車見上げた滝のしぶき浴び
こんにちは。
はじめまして。
なお様のご指摘を少し勘違いされているようなのでお邪魔しました。
俳句では句の中に「誰が」(作中主体と言います)「~した」と言うことが明示されていない場合は基本的に「自分」(一人称)のことになりますよ。と言うのが、なお様のご指摘です。
ですから「俳句は自分のことしか詠めない。」と言うことではありません。
御句の場合、「肩車をした親子が、ずっとたたずんで滝を見上げたまま、と言うのを詠みたかった」とコメントされています。
それをそのまま詠めば、
子を肩に佇む人や滝の音
のようになりますね。この場合の「人」が作中主体となり、作者(樹さん)はその様子を見ていることになります。
説明があまり上手くないので、お分かり頂けたか心配ですが、、、
よろしくお願いいたします。
点数: 1