俳句添削道場(投句と批評)

みつかづさんの添削最新の投稿順の116ページ目

「店先の紅の灯しやさくら草」の批評

回答者 みつかづ

添削した俳句: 店先の紅の灯しやさくら草

 
c_riverさん、こんばんは。貴句、拝読しました。

結論:さくら草をお詠みなのであれば、さくら草を描写なさってください。

まず、c_riverさん作の過去の投句でございます。良い構造と思いました。
・雨後の陽や勿忘草の撥ね雫
・君が瞳に吾は映らずや朧月
・梅枝につがう目白や春隣
・光芒の中や山茶花紅ひとつ

私めが添削した句もありますが、それでも大して手を入れておりません。
繰り返し強調いたしますが、上記4句は良いなと個人的には思っておりますよ。

他の句も拝見しておりコメントできておらずに心苦しいのですが、
上記4句の共通点は「や」の位置が適切で、季語、またはその他で説明的ではない
句景の描写が在り、季語による収束、または視点の開放が機能しているんですよね。
そして、作者コメントと句面の整合性が取れております。

作者コメントは「仕事帰りにお花屋さんの店先で観たさくら草を詠みました」が
この句ですよね。なのに、さくら草の描写が何1つ無いんですよ。
「店先の紅の灯し」は、さくら草の描写ではなくてお店の描写ですから。
つまり、自己矛盾。

以前にも書いた筈ですよ。
「切れ字「や」を適当に使えば良いというものではない」と。
そこは、ご自身でしっかり推敲・吟味すべきですよね。推敲・吟味してないとは
申しませんが、踏み込みが足りてない。
そして、指摘されて悔しい気持ちは分かりますよ。だから、c_riverさんは
指摘されたり添削されたりしたらそのコメントには
「いいね」付けてないんですよね。
でも、ここは『俳句添削道場』とのサイト名であり、「道場」とは「鍛錬の場」を
意味する単語である以上、個々の承認欲求を満たす場じゃないんですよ。
基本的には互いの腕を高め合う場なんですよ。

もう1度載せます。
・雨後の陽や勿忘草の撥ね雫
・君が瞳に吾は映らずや朧月
・梅枝につがう目白や春隣
・光芒の中や山茶花紅ひとつ

推敲の際には、上記4句を思い出して、お比べなさる事を強くお勧めいたします。
そうなされば、さらに上達への道が開かれますから。

今回も、私めからの添削提案はございません。
何故なら、句の核がさくら草以外に無く、さくら草に何の描写もなされてない以上、
添削なんてできる訳ないからです。改作・改悪なら幾らでもできますが、
人様の句である以上、私めは絶対それはしたくないので。

「バットを振ったら本塁打か三振か」という極端な状態になっている様に
見えますので、そろそろ安定感が欲しい所でしょうかね。たまにホームランを
打つよりも、ヒットをコツコツ積み重ねる方が確実に伸びますので。

以上でございます。お目通しいただき、感謝いたします。
 

点数: 0

「カップルが急増春のこの日より」の批評

回答者 みつかづ

添削した俳句: カップルが急増春のこの日より

 
ゆとりろさん、こんにちは。貴句、拝読いたしました。
きびしい事を長々書きますが、お含みおきください。

俳句としてはどうでしょう」

結論:そもそも、全く俳句になっていないですね。
以下、その理由でございます。

①:「カップルが急増」が「根拠ゼロの作者の主観だけ」
俳句は短いからこそ、「読者が共有できる根拠」が句面に書かれている必要が
あります。この貴句はどうでしょう。
・どこで? ・どんな光景を見て?
・何をどの様に比較してなぜ「急増」と感じたのか?
これらが句面で一切示されていないんですよ。なので読者は、
「いや、作者の頭の中の印象だけを書かれても……」となってしまいます。
俳句は「観察から生まれる詩」ですので、観察の痕跡がゼロだと、
それは詩ではなくて「感想文」の断片になっちゃうんですよ。

②:「この日」が読者が参照できない「作者だけの時間」
「この日」は本来、叙情を生む語です。
しかし俳句では、読者が参照できない時間指定は機能しません。
・何の日? ・何が起きた日?
・春の中でも特別な日なのか? ・単に今日という日の事なのか?
これらが句面からは全く分からない為、読者には
「作者だけが知っている日付」を突然持ち出された様に見えるんですよね。
俳句は「読者と共有できる場と時間が必要」なのに、この貴句はその提示が無い。

③:句景も象徴もゼロであり、読者の入口が無い
俳句は17音の中に、以下の3つのうちのどれかが必要です。
・具体的な景 ・そこから立ち上がる象徴 ・季語による世界の定位
ところがこの貴句は、
・具体景が無い ・象徴が無い ・季語が理由付けにしか使われていない
つまり、読者が句に入る事ができる入口が1ヶ所も無い。
ですので、読者が「作者はこの句で一体何を伝えたいのか全然分からない」という
感想になるのは当たり前になっちゃうんですよ。入れないんだから。

④:比喩にも象徴にもなっていない
「急増」、「この日より」。どちらも比喩として働く可能性はあるのに、
句の中で何も象徴していません。例えば、
・春の訪れ=恋の増殖(ただ、人間には繁殖季節という概念は通じない)
・ある出来事を境に世界が変わる
・自分の心の変化を「急増」で表す
こうした象徴性が書かれてあれば読み解けるのですが、
この貴句の句面にはその様なヒントが一切無いんですよ。

総評:俳句として成立する為の「核」(=作者の感動)が欠落している
・具体景が無い ・感動が無い
・象徴が無い ・共有可能な根拠が無い
なので読者は読み解きようが無い。これは作句技術以前の問題ですよ。
俳句としての最低限の構造が欠けています。
「俳句の体裁をしているが、俳句としての核が無い」

詩とは「自然や人事などから受ける感興・感動を、リズムを持つ言語形式で
表現したもの」を意味する単語です。俳句は「季語を含む17音の短詩」です。

この貴句には、「作者が受けた感動、感興(=句の核)は句面の何処にどの様に
書いてあるのでしょうか? 分かりません……」と、読者は思っちゃう訳ですよ。
なので、この貴句は俳句とは言えない訳なのです。

ハッキリ申し上げます。
「この貴句は、改作なら誰でもできる。でも、添削は誰にも不可能。
何故なら俳句じゃないから」
そして、私めは他者様の所で他者様の句を改作するのは大嫌いなので、
書く事ができません。作句例を示すのも、この句材では、私めにはできません。

「俳句としてはどうでしょう」と質問なさる前に、「そもそも俳句とは何か?」を
ご理解なさる事が先ですかね。

以上でございます。お目通しいただき、感謝いたします。
 

点数: 1

「障子日や薄紅透ける桃ひとえ」の批評

回答者 みつかづ

添削した俳句: 障子日や薄紅透ける桃ひとえ

 
こんばんは。貴句、拝読いたしました。

和室の障子窓に外からの日の光が当たって少し白味掛かっていて、
最後は梅の花のアップで終わっている。静謐な室内景として美しいですよね。
「梅ひとえ」も平仮名なので「一枝」と「一重」の掛詞だとすぐ分かります。
この辺りは上手いなと私めは思いました。

ただ、細かいですけど助詞選びと語順で損してる作りになっております。
理由は2点。
まず、障子は三冬・生活の季語
ですが造語であるなら「季語じゃないかも」とは辿り着くのは難しくないんですよ。
ですが「障子日や」と詠嘆がこの位置ですと、ここに焦点が強く当たって
中七下五と意味が切れちゃいますので、障子の背景としての印象が強過ぎて、
桃の花が「光の説明材料」に見えてしまう危険性があります。

次に中七の語順。
元句は「薄紅透ける」。これですと読者の「何が薄紅色に透けてるの?」という
問いに「桃の花ですよ」と答える、やや説明的な流れになっちゃうんですよね。
2月中旬という時期を考えるますと、まだ蕾が多いか、あるいは温室育ちの
切り花でしょうから、光の描写を動詞で繋いでおいて中七のラストで
名詞「薄紅」で軽く切っておいて「桃ひとえ」としますと、
「透けているのは薄紅色。その正体は?」と読者に謎が残って、
最後にタネ明かし(オチ)として「桃ひとえ」が効いてきます。
この形にする事で、造語(かもしれない)「障子日」が
桃の花の美しさを引き立てる為の「最高の脇役」として機能して
桃の花」という季語に「今、目の前に有る」という
強い実在感を読者に持たせる事ができます。

したがいまして、私めからの添削案は以下でございます。

・障子日に透ける薄紅桃ひとえ

そろそろc_riverさんは、前にも書きましたけど「間投助詞「や」を何処に置くと
何が起きて、どの様なメリット、デメリットが生じるか?」を考える段階に
到達なさってますし、「間投助詞「や」を使わない」という勇気も
そろそろ必要な段階に達していらっしゃいます。

「や」を使わない切れの作り方の例は以下。
・疑問の助詞「か」を使って切る
・間投助詞「よ」で切る
・終助詞、または活用語の終止形を使って切る(四段活用、上一段活用、
下一段活用の動詞(終止形と連体形が同形)、
終止形と連体形が同形の助動詞に注意)
・体言(名詞、代名詞)で切る

特に体言で切れる様になりますと作句の幅がグンと広がりますので、
練習する価値はあると私めは思います。

最後に、「タネ明かしはギリギリまでしない(=オチをギリギリまで見せない
=読者の楽しみを減らさない)」。
つまり、語順。語順の推敲はかなり大切な要素なので、
意識なさると良いのではないかと私めは思います。
腕が上がってるからこそ、語順や配置の場所選び、
語選びの精度を上げていく段階ですかね。特に付属語(助詞、助動詞)。

以上でございます。お目通しいただき、感謝いたします。
 

点数: 2

「春茜蒼に滲むや摩天楼」の批評

回答者 みつかづ

添削した俳句: 春茜蒼に滲むや摩天楼

 
こんばんは。貴句、拝読しました。

春茜、キレイですよね。どこか切なさも感じさせられる。
ただ、せっかく季語を持ってくるなら活かしたいですよね。
実は、この句面だとせっかくの季語「春茜」が動詞「滲む」と
意味が矛盾しちゃうので効かないんですよね。
動詞「滲む」の意味は以下。
1:液体が物にしみて広がる。
2:液体がうっすらと出てくる。

作者コメントには「雲ひとつない春の夕暮れ」とお書きです。
つまり、雨も雪も降っていないので、句中には動詞「滲む」の1と2の
意味が全く存在してないんですよ。そして投句日より、
こんな時季に花壇やゴミ置き場以外に水撒きなんてします?
普通はまだしませんよね。
摩天楼に液体が物にしみて広がったり、液体がうっすらと出てくるのが、
不気味なんでよね。私、1995年の出来事を知ってますので、
これは大げさな冗談ですが、「えっ? またサリンが撒かれたの!?」みたいな
トラウマを抉ってしまう危険性すら有る訳ですよ。

詩情をお出しにお気持ちには心を寄せたいのですが、もっともっとイージーに
お考えになっていいのではないでしょうか。

私めからの添削提案は以下でございます。

・春茜蒼に溶け込む摩天楼

こうなさるだけ。つまり、「や」で切らずに季語の名詞で上五で軽く切る。
これなら、「蒼に溶け込む摩天楼」が客体、季語「春茜」と役割分担が明確。
「茜色」から「蒼」へと移り変わる空の境界線に、巨大な建造物が
しなやかに馴染んでいく、「都会の美しい夕景」として成立しますよね。
複合動詞「溶け込む」が持つ「調和」のニュアンスが、
無機質な摩天楼に体温を与えている様な感じもありますよね。

これなら、「えっ? またサリン事件? 東京は怖い……」なんて誰も思いません。

そろそろ安易な間投助詞「や」の使い方からから卒業して、
効果をお考えになる段階ではないでしょうか。

以上でございます。お目通しいただき、感謝いたします。
 

点数: 2

「春暁や蒼に紛るる星ひとつ」の批評

回答者 みつかづ

添削した俳句: 春暁や蒼に紛るる星ひとつ

 
こんばんは。貴句、拝読いたしました。

春の暁の頃の時間帯の空の変化という句景が実に美しいですし、
句面にもそれがピッタリ反映されています。
句面が単なる写実じゃなくて、ちゃんと写生になってますよね。

作者の感動が季語「春暁」に込められており、間投助詞「や」で詠嘆して読者に、
「感動の舞台はここですよ」と明らかにしてから、春暁の中でどの様な事が
起きているのかを、説明無しで描き切って、「星ひとつ」で星のアップで着地する。
句が終わってもまだ、読者はまだ季語「春暁」の余韻の中に居させる。
春暁の空での出来事で作者の心をどの様に感動させたのかがアリアリと
伝わってくるかの様です。これは間投助詞「や」の場所の成功ですよね。

次に、動詞「紛る」。
この一語の連体形が下五の「星ひとつ」に、「流れ星かもしれない」との
多義性をも追加してドンピシャですよね。読者の想像の余白が広がっています。
流れ星でなくてもよいですし、流れ星でもよい。
この動詞の選択は実に上手いですよね。とても勉強になりました。

もちろん、評価は最高。このまま味わいたいと私めは思いますし、寧ろ迂闊に
手を入れてしまうと、元句の良さが台無しになってしまうのではないでしょうか。

以上でございます。お目通しいただき、感謝いたします。
 

点数: 1

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