「春茜蒼に滲むや摩天楼」の批評
こんばんは。貴句、拝読しました。
春茜、キレイですよね。どこか切なさも感じさせられる。
ただ、せっかく季語
を持ってくるなら活かしたいですよね。
実は、この句面だとせっかくの季語「春茜」が動詞「滲む」と
意味が矛盾しちゃうので効かないんですよね。
動詞「滲む」の意味は以下。
1:液体が物にしみて広がる。
2:液体がうっすらと出てくる。
作者コメントには「雲ひとつない春の夕暮れ」とお書きです。
つまり、雨も雪も降っていないので、句中には動詞「滲む」の1と2の
意味が全く存在してないんですよ。そして投句日より、
こんな時季に花壇やゴミ置き場以外に水撒きなんてします?
普通はまだしませんよね。
摩天楼に液体が物にしみて広がったり、液体がうっすらと出てくるのが、
不気味なんでよね。私、1995年の出来事を知ってますので、
これは大げさな冗談ですが、「えっ? またサリンが撒かれたの!?」みたいな
トラウマを抉ってしまう危険性すら有る訳ですよ。
詩情をお出しにお気持ちには心を寄せたいのですが、もっともっとイージーに
お考えになっていいのではないでしょうか。
私めからの添削
提案は以下でございます。
・春茜蒼に溶け込む摩天楼
こうなさるだけ。つまり、「や」で切らずに季語の名詞で上五で軽く切る。
これなら、「蒼に溶け込む摩天楼」が客体、季語「春茜」と役割分担が明確。
「茜色」から「蒼」へと移り変わる空の境界線に、巨大な建造物が
しなやかに馴染んでいく、「都会の美しい夕景」として成立しますよね。
複合動詞「溶け込む」が持つ「調和」のニュアンスが、
無機質な摩天楼に体温を与えている様な感じもありますよね。
これなら、「えっ? またサリン事件? 東京は怖い……」なんて誰も思いません。
そろそろ安易な間投助詞「や」の使い方からから卒業して、
効果をお考えになる段階ではないでしょうか。
以上でございます。お目通しいただき、感謝いたします。
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雲ひとつない春の夕暮れと都会の高層ビルを詠みました。