「障子日や薄紅透ける桃ひとえ」の批評
回答者 みつかづ
こんばんは。貴句、拝読いたしました。
和室の障子窓に外からの日の光が当たって少し白味掛かっていて、
最後は梅の花のアップで終わっている。静謐な室内景として美しいですよね。
「梅ひとえ」も平仮名なので「一枝」と「一重」の掛詞だとすぐ分かります。
この辺りは上手いなと私めは思いました。
ただ、細かいですけど助詞選びと語順で損してる作りになっております。
理由は2点。
まず、障子は三冬・生活の季語。
ですが造語であるなら「季語じゃないかも」とは辿り着くのは難しくないんですよ。
ですが「障子日や」と詠嘆がこの位置ですと、ここに焦点が強く当たって
中七下五と意味が切れちゃいますので、障子の背景としての印象が強過ぎて、
桃の花が「光の説明材料」に見えてしまう危険性があります。
次に中七の語順。
元句は「薄紅透ける」。これですと読者の「何が薄紅色に透けてるの?」という
問いに「桃の花ですよ」と答える、やや説明的な流れになっちゃうんですよね。
2月中旬という時期を考えるますと、まだ蕾が多いか、あるいは温室育ちの
切り花でしょうから、光の描写を動詞で繋いでおいて中七のラストで
名詞「薄紅」で軽く切っておいて「桃ひとえ」としますと、
「透けているのは薄紅色。その正体は?」と読者に謎が残って、
最後にタネ明かし(オチ)として「桃ひとえ」が効いてきます。
この形にする事で、造語(かもしれない)「障子日」が
桃の花の美しさを引き立てる為の「最高の脇役」として機能して
桃の花」という季語に「今、目の前に有る」という
強い実在感を読者に持たせる事ができます。
したがいまして、私めからの添削案は以下でございます。
・障子日に透ける薄紅桃ひとえ
そろそろc_riverさんは、前にも書きましたけど「間投助詞「や」を何処に置くと
何が起きて、どの様なメリット、デメリットが生じるか?」を考える段階に
到達なさってますし、「間投助詞「や」を使わない」という勇気も
そろそろ必要な段階に達していらっしゃいます。
「や」を使わない切れの作り方の例は以下。
・疑問の助詞「か」を使って切る
・間投助詞「よ」で切る
・終助詞、または活用語の終止形を使って切る(四段活用、上一段活用、
下一段活用の動詞(終止形と連体形が同形)、
終止形と連体形が同形の助動詞に注意)
・体言(名詞、代名詞)で切る
特に体言で切れる様になりますと作句の幅がグンと広がりますので、
練習する価値はあると私めは思います。
最後に、「タネ明かしはギリギリまでしない(=オチをギリギリまで見せない
=読者の楽しみを減らさない)」。
つまり、語順。語順の推敲はかなり大切な要素なので、
意識なさると良いのではないかと私めは思います。
腕が上がってるからこそ、語順や配置の場所選び、
語選びの精度を上げていく段階ですかね。特に付属語(助詞、助動詞)。
以上でございます。お目通しいただき、感謝いたします。
点数: 1
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和室に生けた一輪挿しの桃の花を詠みました。