「セーターを脱いで獏たりコーラ干す」の批評
ゆとりろさん、おはようございます。貴句、拝読いたしました。
作者コメントに「ジムで運動した後、休憩室で一服しており、暑くなってセーターを
脱いだときの開放感というかぼんやりした気持ちを詠んだ」とお書きです。
ならば何故、句にジムとお書きにならなかったのでしょう?
この句面では、「作者はジムに居る」とは読者の誰にも分かりませんよ。
コーラは手持ちの季寄せには載ってませんが、本質的にはサイダーやラムネと
同じ性質ですよね。歳時記
の種類にによっては夏の季語
として載せられている
可能性ありますが、季重なり以前に、そもそも「コーラ干す」との
措辞は必要でしょうか?
作者コメントには「休憩室で一服しており」とありますので、
「コーラを一気に飲み干す程慌ただしい休憩だったの?」とも後から
解釈可能なんですよ。つまり、開放感とは逆の、焦燥感に見えちゃうんですよね。
「早くトレーニングに戻らなきゃ!」みたいな。
そして「獏たり」。意味調べましたけど、全く分かりませんでした。
「ジムの休憩室に獏が居るってどんなジム? ポスターに描かれてる獏の事?」と。
もっともっと、もっとーイージーに。難しく考えない。それすら難しいなら、
一旦その出来事の感想文を書き出して、最も感動なさった箇所を句の核として
句面に起こされると良いのではないでしょうか。私めもそれは結構やってますので。
私めからの添削
案は以下でございます。季語はセーター→春セーターに変えます。
A:ジムの一服脱ぎつる春セーター
B:ジムの一服脱ぎたる春セーター
AとBは助動詞が違うだけです。どちらも7音+10音の破調です。
Aは脱ぎ終わった直後に、Bははさらに後の心情に寄りますね。
気まぐれ亭いるかさんが仰った多作多捨ですが、これは文法的理解、俳句
の型など、
基本的知識が前提となるんですよね。
それが身に付いてないのに多作多捨した所で無意味なんですよ。何故なら
失敗原因が理解できないので、「次は失敗しない」という再現性が無いからです。
私めが絶対正しい訳じゃないですし、正しいと思い込むのは危険ですけど、
添削の際には語の意味などはちゃんと隅々まで調べておりますから。
このサイトには「写生」と「写実」の区別が付いてないと思しき方も
ソコソコいらっしゃいますが、文法などの基礎固めをなさいませんと、
何時まで経っても「感覚頼み」に陥り、途中で上達が止まっちゃうんですね。
その結果、元句の核を理解しないまま添削とは言えない
添削もどきを平気でやってしまったりする訳で。感性とロジックの両輪が大切で、
片方だけでは上手くいかないんですよ。言語の文学なんですから。
以上でございます。お目通しいただき、感謝いたします。