俳句添削道場(投句と批評)

なおさんの添削最新の投稿順の946ページ目

「紫陽花の赤雨の中優雅なり」の批評

回答者 なお

添削した俳句: 紫陽花の赤雨の中優雅なり

松本ひとみさん、こんにちは。初めまして。
御句拝読し、松本さんの最初のご投句から読み直しました。初心者さんとのことですが、さわやかな句をお詠みですね。

紫陽花の赤雨の中優雅なり

俳句では字と字の間を空けたり、句読点を打つことができませんので、つながって読めて読み手を悩ませてしまうことがありますから、他の皆さんもおっしゃっていますが、工夫が必要になります。
それと、たまたまかもしれませんが、季語は必ず先頭に置かなければならないということもないですよ。また、俳句は想像の文芸とも言われていて、作者があまりハッキリ意思を表さず、情景を描写して、読み手に想像してもらうほうが良いようです。

・雨の中紫陽花赤く浮かびをり

あまりうまくありませんが、青い紫陽花は雨の中に溶け込むがごとくなのに、赤い紫陽花は逆に浮かびあがっているようだ→だからきれいだと思ったのだな、だから優雅だと思ったのか。そういう作りのほうがいいように思います。

すでにお感じになったと思いますが、この道場は、初心者の方にもとても丁寧に教えてくださる方が複数いらっしゃいます。安心して、また次の句を読ませてください。

点数: 1

「私より海を見ているサングラス」の批評

回答者 なお

添削した俳句: 私より海を見ているサングラス

感じさん、こんにちは。初めまして、なおじいと言います。
感じさんがこの道場においでになったのと入れ違いくらいに、私は旅に出てしまいました。
このたび、半年ぶりに帰ってきました。よろしくお願いします。

御句拝読しました。私はこういう句、とても好きです。特に御句は、サングラスという新しい季語が、「海」という舞台設定と相まってとても生きていると思います。

サングラスには、強い日差しを避けるという直接的な意味の他に、どこを見ているのか、転じて何を考えているのかわからないという意味があると思いますが、その両方をうまく活かしていると思いました。「私」の心情が実に上手く表現されていると感心しました。

原句の「見つめる」から掲句の「見ている」に変えた背景はわかりませんが、私は掲句の「見ている」が好きです。「見つめる」は、対象物に何か特別な思いがあってじっと見ること、英語で言えばwatchが近いのかと思います。一方「見ている」は、特に思い入れはなく、視線がそちらに向いている(だけ)という感じで、seeの感じでしょうか。

御句の場合、見てほしいのは「私」なのに、相手は見てくれないで他所ばかり見ている、ということが重要なのだと思います。その他所の一例として海があるので、例えば山を見ているでもいいのかと。
その意味から、「見ている」がいいと思いました。ただ、このお相手が、この海に特別な思いがあるのであれば話は別ですが、今回はそこまでは立ち入らない鑑賞としました。

長々と失礼しました。私もこういう句にチャレンジしてみます。

点数: 2

「片頬にサクマドロップ春の雨」の批評

回答者 なお

添削した俳句: 片頬にサクマドロップ春の雨

葉月庵郁斗さん、こんにちは。
御句拝読しました。これはいい句だと思いました。
私は火垂るの墓はちゃんと観ていないので、サクマドロップから映画を連想できませんでした。そういう人間の感想です。

私は、「片方」という意味の「片」になぜか哀愁を感じるタイプで、御句の「片頬」にも、あえて、両方のほっぺに含むほどの余裕がない、という意味を感じ取りました。
ドロップは最後の一個だったのか、誰か幼い弟妹と分けたのか…。

春の雨だから濡れても冷たくはない、まして口の中の甘いドロップのおかげで寂しくもない。そんな光景が浮かびました。

点数: 2

「濡葉色ガクアジサイの白映ゆる」の批評

回答者 なお

添削した俳句: 濡葉色ガクアジサイの白映ゆる

松本ひとみさん、こんにちは。
御句拝読しました。確かに額紫陽花はきれいな花ですよね。
ただ、「濡葉色」という言葉をお使いですが、これって一般的でしょうか?
一般に「ぬればいろ」と言うと「濡羽色」と書いて、真っ黒のことを指します。「髪は烏の濡羽色」などと言いますね。
ですのでここでは、卓鐘さんのコメントにもあるように、「濡葉色」という措辞は使わないほうがいいと思います。

・濡れた葉に白きを映す額紫陽花

やはり紫陽花には雨が似合いますね。

点数: 0

「カタツムリ吾子と数える百地蔵」の批評

回答者 なお

添削した俳句: カタツムリ吾子と数える百地蔵

伊藤理恵子さん、こんにちは。初めまして。よろしくお願いします。

御句拝読しました。百地蔵って以前私が訪れたところは、右から数えるのと左から数えるのではどうしても数が違うということで、お化け地蔵と呼ばれていました。
私も数えようとしましたが、途中でわからなくなりました(笑)。六地蔵くらいならねえ。

さて御句、私は初読では、「かたつむり」は取り合わせで、数えたのはお地蔵様だと思いました。上のような思い出があるからというのもありますが、「数える」の目的語の位置に百地蔵があるから余計にそう思ってしまったのだと思います。

伊藤さんの思いとするなら、

・かたつむり数へて吾子と百地蔵

などではいかがでしょうか。

点数: 1

なおさんの俳句添削依頼

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