「仏の座今朝ユータ君死にました」の批評
めいさん、再訪です。
「林檎の花けさ槐太君死にました」という石寒太さんの句をご紹介くださり、有難うございました。
私は浅学にして石さんを存じ上げませんが、あえて調べずに本句の感想を申し上げます。
息子が学生の時に、長野県のリンゴ農園さんに農業体験に行きました。そこでやったのは「摘花(てきか)」でした。ご存知のように林檎の木にはたくさんの花が咲きますが、そのままにしておくと数は多くても小さな実しか出来ないので、大きな実を育てるために、一つだけ残して他の花を摘んでしまうのです。
知らない人から見ればなんともったいない、可哀想にと思うかもしれませんが、農家さんとしては商売上、大切な作業なのですね。
そんなことから、「林檎の花」には、可憐だが大きくは育たない(かもしれない)、という意味合いがあるかもと思います。
また、石さんの句では、お名前が「槐太君」と極めて現実的で、これはどう考えてもペットの話とは思えません。
そう考えていきますと心に沁みる句ではありますが、ただ、私としましては、個人的にあまり好きではありません。これは石さんがどうこうというより、私は個人的に「死」という措辞は好まないのです。
ですから私であれば、最低限の読み替えですが、
「林檎の花けさ槐太君永眠す」とかのほうがまだ受け付けられるのです。
ちなみに、本句は添削
依頼ではないので、これは添削でも提案句でもありません。
長々とすみません、よろしくお願いします。