「天馬座を友と見上げし夜凪かな」の批評
回答者 イサク
添削した俳句: 天馬座を友と見上げし夜凪かな
こんばんは。
他の方から出ていない意見を中心に。
◆まず気になったのが「見上げし」。「見上げる」は動作の動詞ですので「見上げし」は継続の意味にはならず、過去の動作です。
そうすると、「天馬座」も「夜凪」も過去の風景になってしまい、ご本人が気にしている「思い出話【感】」どころか、モロに「日記・思い出話」になってきますね。
◆「かな」なら軽く切るのが定石、という【定石】は存じませんが、この句は「天馬座」と「夜(凪)」で風景が繋がっていますので、切れを入れる必要は感じませんでした(軽い切れを入れる「手法」があるのは知っています)。
◆「見上ぐる」でストレートにつないだ場合、季語「天馬座」よりも【夜凪】が強調されすぎるようです。そういう意味で「見上ぐる」は回避してよい気がします。
「見上ぐる」を回避する場合でも、よほど頑張らないと、下五「夜凪かな」が強すぎる気はしますが・・
ここから先のアプローチは作者様の出したい風景に関わるので、口出しをしにくくなります。ヒッチ俳句様、独楽爺様、どちらのコメントにもヒントがありますし、作句者がこの風景の中で何を大事にするか、だと思います。
「夜」という情報は余計ではないか?「凪」という情報は要るか?などなど・・
・凪ぐ夜を友と見上げるペガサス座
点数: 2