「献花置く雨は霙となりにけり」の批評
慈雨さん、こんにちは。
拙句「三寒四温」にコメント有難うございました。褒めていただいて有難うございます。また、私の悩んだ
点もご理解くださり感謝です。
「寒い日も暖かい日もでは、要するにいつでもってことでしょう?だったら季節関係ないし、三寒四温じゃなくて『年中』でも同じ意味じゃないか」みたいなことかなと。
そ、その通りなんです!三寒四温というのは、寒い日が三日続いても、そのあと暖かい日が四日続くように、少しずつ春に近づいていく、つまり毎日同じということではないのだと。それを、母は寒かろうと暖かろうと、毎日変わらず働いている、などというふうに使っていいものだろうか?との迷いでした。
でも、皆さんのこれまでのご意見、および慈雨さんの「三寒(&)四温という、季節の移り替わる時季ならではの、不安定な気候。その中でどんな日も変わらず家事をする母親の力強さは、この季語
があってこそリアルに表現されているのだろうと思いました」というご意見に、ようやく晴れました。
と同時に、これ、応募すればよかった!と後悔し始めました(笑)!
この場をお借りして、慈雨さんはじめ拙句にコメントをお寄せいただきました皆さんにお礼申し上げます。有難うございました!
前段が長くなりましたが、御句拝読しました。これはいい。素晴らしいです。
お墓参りとは思いませんよ。それなら供花です。「献花」で、そういう事故現場とかのお花とわかります。
そこに作者が花を置いた途端、今までの雨がみぞれに変わったのですね。より冷え込んだことを意味します。
献花に来るまでは、まだ信じられない気持ちがあったけど、現場に来てみたらすでにたくさんの花束が。
ああ、やはり現実なんだ。と思うと心も冷えてきますよね。それを、雨がみぞれにと表現。上手いと思います。このままいただきます。
これからもよろしくお願いします!
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霙(みぞれ)。
ある事故現場の光景を詠みました(句だけだとお墓参りとも読めそうですが)。
諸々、ご意見いただけると嬉しいです。