俳句添削道場(投句と批評)

イサクさんの添削最新の投稿順の1381ページ目

「ぐあぐあと聞こゆ鳥語や渡り鳥」の批評

回答者 イサク

添削した俳句: ぐあぐあと聞こゆ鳥語や渡り鳥

おはようございます。

オノマトペからして鴨の仲間でしょうか?

◆一物仕立ての句にありがちな形で、この句は「季語の説明」になっているのではないかと思います。「季語の説明」はできるだけ避けたいですね。
 この句の場合「ぐあぐあと渡り鳥」の十音で同じ光景ではないかと思います。
 中七まるごと、他の描写に使えますね。
 想像できることを「説明しすぎ」るのは、受けとった相手の理解力を信用していないということになります。季語と受け手を信用して省略していきたいところです。

◆「聞こゆ」は下二段活用なので、連体形は「聞こゆる」になります。
 「鳥語が聞こえる」という意味ならば「聞こゆる鳥語」が正しいと思います。とはいえ、説明しすぎで省略したい箇所でした。

季語「渡り鳥」を信じて「鳥語」は省略し、コメントにある「一斉に降りて来る」は言わなければわからない可能性があるので、そちらを描写する提案句です。

・ぐあぐあと降り来たりけり渡り鳥

本音では「ぐあぐあと」も説明っぽいのでカットして推敲したいところ。
ちなみに「鴨来たる」という季語に変えれば「ぐあぐあと」は完全に省略可能だと思います。

点数: 3

「ふり仰ぎ坂上り切る星月夜」の批評

回答者 イサク

添削した俳句: ふり仰ぎ坂上り切る星月夜

おはようございます。

『(振り返らずに)顔を上げて坂を登り切った』という句として受け取りました。コメントを見てびっくりでした。

◆【ふり仰ぐ】:顔を上へ向けて高い所を見る。(デジタル大辞泉より)
 つまり、句にはコメントの「振り返りつつ」の意味が明確には入っていません。

 複合動詞「ふり仰ぐ」の「ふり」に「顔を動かす」という意味があるので、直前には別の場所を見ていたというニュアンスが入ります。普通は「目線の高さや下方を見ていたところから上を見た」という意味で使われていると思います。
 深読みすれば『(歩いてきた坂の)下方を見ていたが、空をふり仰いだ』と受け取れなくもないですね。想像の余地を残す意味ではアリかもしれません。

◆「仰ぎ(見る)」のが「坂」であって、「星月夜」でなくてよかったと思います。「(空を)仰ぎ見る」という当たり前の説明は回避できています。

ご本人の狙った句意ではなさそうですし、複合動詞ふたつを自分の動作で使っている報告・説明感は気にはなります。
が、五音の複合動詞同士の微妙なバランス感覚もあり、提案句でそれを保つものができなかったので、一旦このままで。

点数: 0

「燕帰る来春帰るそのままに」の批評

回答者 イサク

添削した俳句: 燕帰る来春帰るそのままに

おはようございます。

言いたいことはわかります。
燕が毎年来ることの説明をなさっていますね。
「季節を感じる」=「毎年同じ季節に季語に出会える喜び」でもあるので、素直な感情ではあると思います。

◆季語「燕帰る」は南方へ行ってしまう意味。中七の「帰る」は日本(我が家)へやってくる意味。二つの「帰る」が正反対の意味で使われていることはあまり得策ではないと思います。
◆「来春帰るそのままに」
 そもそも「季語」というのは季節の移り変わりを感じるものですので、「毎年同じように来る、現れる、咲く」「季節が過ぎれば消える、見なくなる」という感慨を含みます。
 なので中七下五は「一見良い言葉のように見えて、季語全体のことを説明しているような言葉」と言えなくはないです。
 「燕」に関係する季語も、毎年春に現れて秋にはいなくなるという感慨を含みます。「燕帰る」には見送る寂しさ、来春も会えるかという期待や、会いたいという願望も含みます。
 なので、俳句としては説明しすぎではないかと思います。

◆「そのままに」がこの句で作者が最も強く言いたいところだと思います。
 「そのまま」が燕の生態の説明なら、上記した通り季語の説明で、ちょっと残念な言葉です。
 「そのまま」=「今年の親燕がそのまま戻って来る」という願望、ということなら理解できます。理解できますが同意はしづらいです。私は「成長した子燕が戻ってきて、今度は親として子を育ててほしい。世代交代を見せてほしい」と思ってしまうので、やはり「そのまま」に違和感が残ります。

いろいろ書きましたが気持ちはよくわかります。「来春もまた(日本に)帰ってこい」という燕を見送る者の気持ち。
御句そのものは日記俳句として残し、次はいかに「帰っていく燕」を「俳句」として詠むか、ということでしょうか。

落日のなかを燕の帰るかな/蕪村
乙鳥は妻子揃うて帰るなり/一茶

点数: 1

「寸胴の鳥こそ渡れ秋津洲」の批評

回答者 イサク

添削した俳句: 寸胴の鳥こそ渡れ秋津洲

こんばんは。はじめまして。
私はチャレンジが好きなのに厳しめ、というややこしいコメントを残しますのですみません。

同じような意見がそれなりに出ているようですが、一応。
◆がっつり命令形に見えます。
 作者の意思・希望が出ているようで面白い表現でした。

季語の分解、係り結びのためだけに助詞を入れて分解しているような雰囲気がありますね。「鳥が渡る」を許容するかどうか?
 御句の場合は「寸胴の鳥」をフィーチャーすることが第一の目的なので、ここを否定したら句が成立しない可能性があるので難しいところ。
 さらに「こそ」の強意に限定の効果もあるので、「寸胴でない鳥は渡らなくてもよい!」ぐらいの意思を感じてしまいそうな点も、気になるというか損かもしれません。

◆下五で「秋津洲」と理屈で景を広げてしまったのは得策ではなかったように感じます。
 句の主となる景は「渡り鳥(寸胴の)」。日本へ来る鳥が季語の「渡り鳥」であるので、「日本」という意味を加えるのはかまわないと思いますが、「秋津洲」は少し気どりが出ているように思いました。句の主となる景も「秋津洲」となっているように感じます。

冬鳥なので、羽毛が膨らんで寸胴に見えますが本体は細い、という理屈を想ってしまいますがとりあえず胸に秘め。
私なら「秋津洲」と言わずに風景を足すと思います。という提案句を置いて去ります。

・灰色の空寸胴の鳥渡る

点数: 3

「部屋の窓映る紅葉眺める日」の批評

回答者 イサク

添削した俳句: 部屋の窓映る紅葉眺める日

こんばんは、はじめまして。

初心者さんですね。五七五と季語「紅葉」で、俳句の形はできています。

ご本人のコメントで「読み手が考えさせられるような俳句」とあります。
そこを目指すということでしたら、

◆「映る」「眺める」などの言葉で説明しすぎていて、あまり考えさせられませんでした。
 特に「眺める日」という説明は省略可能で、「窓の紅葉」とするだけで、誰かが紅葉を眺めていることは想像できます。誰かが見ていなければ「窓に紅葉が見えている」ことには気づかないので。

◆逆に「句の映像に具体性が少なく、どこへ想像を膨らませたらいいかわからない」という弱点も感じます。
 例えば「部屋」「窓」などに、想像を広げさせる具体性が欲しいと思いました。わずかに具体性があれば、そこから想像が広がっていきます。
 例えば、ありがちな光景ですが「病窓の紅葉」とすれば、作者(作中主体)が病気なのかも?知人が病気でお見舞いに来ているのかも?という想像が働きます。すると、他の言葉次第で病院や自宅の寝室などの風景が出るようになります。

・病室は明るし紅葉の映る窓

 別に作者を病気にする必要は全くないので、不要な言葉を省きつつ「受け取り手が想像するためのわずかなとっかかり」を探してみてください。

点数: 0

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