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回答者 イサク
添削した俳句: 風光る匙大盛りの龍角散
こんばんは。
「季語」+「季語と関係ないことば」の取り合わせを考えるときは、「季語と関係ないことば」から先に決めて、あとで季語を合わせるのが初心者さんにはお勧めです。(というか、方法論としては鉄則レベルでお考え下さってもいいです)
「匙大盛りの龍角散」まずこちらありきで考えます。
これに対して、どんな気持ちですか?
楽しいですか?悲しいですか?
楽しいなら明るく楽しく感じる季語、悲しいなら暗く寂しく感じる季語。
で、明るい気持ちとして
「匙大盛りの龍角散」に合う明るい季語を探すわけですね。
で、「風光る」はたしかに明るい季語なのですが、
龍角散が風でとんでっちゃいませんか?
季語を選ぶときのコツのひとつとして、季語と季語以外の部分が、同時にその場で見える、感じられる、存在できるかどうか、というのがあります。
でないと俳句の光景が成立せず、ちぐはぐな句になってしまうので。
「匙大盛りの龍角散」は家の中の光景だと思います。
なので「屋内でも成立する季語」が望ましいですね。
(○○の雨、とか、○○の月、とか、屋外でも窓から見える聞こえるものはセーフ、などの判断はあります)
例としていくつかあげてみます。
・春雨や匙大盛りの龍角散
・啓蟄や匙大盛りの龍角散
・恋猫や匙大盛りの龍角散
・燕来て匙大盛りの龍角散
・進級や匙大盛りの龍角散
点数: 0
回答者 慈雨
添削した俳句: ガラス戸に犯人の顔花の雨
なお様、こんばんは。
おお…こんな句も詠まれるのですね。怖いぃぃ。
ただいま午前1時過ぎ。これから寝るのですが、怖い夢を見たら恨みますからね(笑)!
「ガラス戸に」という表現から、「ガラス戸の先にいる人物」というより、「ガラス戸に映った人物」を想像しました。
自分の後ろに「犯人」が立っていて、その顔がガラス戸に映っている。きゃー。
イサク様と同じく、一番気になったのは「なぜ犯人とわかったのか」ですね(犯人=自分自身、というのは思いつきませんでした。さすが…)。
季語「花の雨」にヒントがあるのでは、と考えました。
手元の歳時記によると、この季語の本意として(眼前に桜があってもなくてもいいが)「意識の中に桜の花が浮かんでいる」点が挙げられています。
つまり、作者は犯人の顔を見て桜のことを思い浮かべた、ということかなと。
だとすれば!
食器棚に、花見で残ったお菓子を取っておいたはずなのに、あれ、なくなってるぞ?
ふと、食器棚のガラスに、自分の後ろにいる子ども(奥様でもいいですが)の顔が映っている。子どもはニヤリと笑っているではないか。
お菓子を食べた犯人はお前かぁぁぁぁ!
ーーという句ですね、うん、間違いない♪
と完璧に謎が解けてスッキリしたので寝ます。おやすみなさいー。
点数: 1
回答者 イサク
添削した俳句: 今日もまたエイプリルフール春の雲
こんばんは。
慈雨様とのやりとりを見ていて、横から失礼します。
私個人は、御句は「意図した季重なり」の句として解釈しましたし、それがダメだとは思っていません。
でも、気になるかどうかと言えば、「エイプリルフール春の雲」と続くために読み取りにくく、気になる人が多数発生するのは理解できる、という意見です。
で、表現の話です。
まず、俳句で100%伝わるように、というのはかなり単純(シンプル)な句か、幼稚な句、みたいなことになると思います。その上で
季重なりを比喩と100%理解させたいなら、たとえば直喩にする
・今日もまた四月馬鹿めき春の雲
「嘘をつく」と100%わからせたいなら、「嘘」と出す
・今日もまた嘘を続けて春の雲
「自分に嘘をつく」と100%わからせたいなら、そのように書く
・今日もまた自分に嘘を春の雲
ここまで書いてもまだ「病気の自分に嘘を」と100%わからせることはできないと思います。
でも100%読者に伝えることを優先するなら、ほぼ散文になってしまいますし、季語も不要ですよね。
・今日もまた病気の自分に嘘をつく
そうではなく、めい様は「俳句」というルールに従って「詩」にすることを選ぶんでいます。
ならば、その「詩」にするのを優先して選べばいいのだと思います。
「俳句という詩」として成立しているのであれば、季重なりは許容されるべきだと私は思ってます。
ただし「許容できる季重なりかどうか」というのは、最終的には読者に託されるところなので、作者としての努力はそこにかかってくるのかなあ?
私なら、比喩の「エイプリルフール」の八音を優先するよりも、ある程度誤読をしないように読者に寄り添うところです。が、作者によってそこの優先度は変わるべき。なので、めい様の思う最終形を探してみてください。
点数: 1
回答者 慈雨
添削した俳句: 今日もまたエイプリルフール春の雲
めい様、再訪失礼します。返信ありがとうございました。
季語「春の雲」を選んだ理由、納得です。ふむふむ。
ただ、やはり作者を知らずに句だけを見た場合、「この作者はもしかしたら具合が悪いのかもしれない。その安定しない体調を春の雲と重ねたのでは」と鑑賞するのは、なかなかに難しい気がしました。。
あーでも子規の「いくたびも雪の深さを尋ねけり」なんて句もあるし、もっと鑑賞力を鍛えればちゃんと読み解けるのかもしれません。ありがとうございました!
「どうすればいいのでしょうか?」というのは、季重なりのことでしょうか?
皆様のコメントも見ていますが、その上で、私は季重なりではない(「エイプリルフール」は比喩なので季語ではない)と思ったので「エイプリルフール」はこのまま残していいと思いました。
あくまで私の意見なので、当てにしないでほしいですが(笑)。
まあ中八のリズムはちょっと気になりました。いっそ、
・今日もまた四月一日春の雲
とか。ダメかな( ̄▽ ̄)
点数: 0