「今日もまたエイプリルフール春の雲」の批評
こんばんは。
慈雨様とのやりとりを見ていて、横から失礼します。
私個人は、御句は「意図した季重なり」の句として解釈しましたし、それがダメだとは思っていません。
でも、気になるかどうかと言えば、「エイプリルフール春の雲」と続くために読み取りにくく、気になる人が多数発生するのは理解できる、という意見です。
で、表現の話です。
まず、俳句
で100%伝わるように、というのはかなり単純(シンプル)な句か、幼稚な句、みたいなことになると思います。その上で
季重なりを比喩と100%理解させたいなら、たとえば直喩にする
・今日もまた四月馬鹿めき春の雲
「嘘をつく」と100%わからせたいなら、「嘘」と出す
・今日もまた嘘を続けて春の雲
「自分に嘘をつく」と100%わからせたいなら、そのように書く
・今日もまた自分に嘘を春の雲
ここまで書いてもまだ「病気の自分に嘘を」と100%わからせることはできないと思います。
でも100%読者に伝えることを優先するなら、ほぼ散文になってしまいますし、季語
も不要ですよね。
・今日もまた病気の自分に嘘をつく
そうではなく、めい様は「俳句」というルールに従って「詩」にすることを選ぶんでいます。
ならば、その「詩」にするのを優先して選べばいいのだと思います。
「俳句という詩」として成立しているのであれば、季重なりは許容されるべきだと私は思ってます。
ただし「許容できる季重なりかどうか」というのは、最終的には読者に託されるところなので、作者としての努力はそこにかかってくるのかなあ?
私なら、比喩の「エイプリルフール」の八音を優先するよりも、ある程度誤読をしないように読者に寄り添うところです。が、作者によってそこの優先度は変わるべき。なので、めい様の思う最終形を探してみてください。
添削のお礼として、イサクさんの俳句の感想を書いてください >>
自分の身体と付き合ってゆく
中八です。