俳句添削道場(投句と批評)
慈雨さんのランク: 師匠654段 合計点: 2,079

慈雨さんの俳句添削依頼

最新の投稿順に並んでいます。回答が付いた投稿が先頭に移動します。

更衣すれば無双や街へ出づ

回答数 : 49

投稿日時:

妻の声よく通りたる田植かな

回答数 : 28

投稿日時:

あたたかき風を孕みて夏柳

回答数 : 38

投稿日時:

ビーフオアチキン覚えて目刺焼く

回答数 : 25

投稿日時:

平凡なラブソング平凡な夏

回答数 : 24

投稿日時:

慈雨さんの添削

「うりずんや島々囲む波一重」の批評

添削した俳句: うりずんや島々囲む波一重

辻基倫子さま、おはようございます。
コメントありがとうございました!
はい、他所では干天の慈雨で投稿しておりますー。見ていただいて感謝です。
またお互いの掲載を楽しみに頑張りましょう☆☆

点数: 0

「白日に黒の蚯蚓よ先に逝く」の批評

添削した俳句: 白日に黒の蚯蚓よ先に逝く

ヒカキン様、初めまして。
中学生ですか!よろしくお願いします。

「白」と「黒」の対比や、干からびた蚯蚓の切ない光景など、いろいろ工夫されていてますね。初めてでこれなら、かなり上々ではないでしょうか。
俳句を習ったばかりで「蚯蚓」という季語をチョイスするあたりもいいですねー。

気になったのは「先に逝く」です。誰が誰の先に逝くのでしょうか?
「蚯蚓よ」と、蚯蚓に呼びかけているような表現もされているため、ヒカキンさんが「蚯蚓よ、私は先に逝くからね」と言っているようにも見えてしまいます。

あまり難しい表現をしようとするより、まずは見たままに詠んだ方がいいですよ!
コメントに「干からびる」とあるので、それをそのまま使いましょう。

・白日に干からびてゐる蚯蚓かな
・あちこちに干からびてゐる蚯蚓かな
「ゐ」は「い」の歴史的仮名遣いです。
「かな」は「〜であるなぁ」という感慨を表す言葉で、俳句でよく使われます。

ぜひ俳句を楽しんでください☆
またぜひ作ったら投稿してくださいね。

点数: 0

「肩車見上げた滝のしぶき浴び」の批評

添削した俳句: 肩車見上げた滝のしぶき浴び

樹さま、はじめまして。よろしくお願いいたします。
御句、ほのぼのとした親子と気持ちいい滝の光景が浮かんでくる句ですね☆

句の構成についてはなお様、ヒッチ様が的確なコメントをされていますね。
私は作者コメントにある季語「滝の音」(「滝」の子季語)について、コメントさせてください。私なりの理解ですので、参考程度に…。

樹さまのご指摘の通り、「滝」だけで岩壁から落ちる水の光景、水しぶき、音ーーといった情報を含んでいると思います。
ただし滝は一年中存在するもので、それがなぜ夏の季語かと言えば、とりわけ暑い夏の季節に清涼感を感じるからです。したがって「滝」という季語の主眼(本意)はその涼しげな姿にあります。

それも踏まえ、俳句で「滝」ではなく「滝の音」を使う場合としては、
①滝の姿ではなく「音」をとりわけ強調したいような場合
②滝の姿は見えず、音だけが聞こえているような場面を詠みたい場合
ーーが挙げられるかと思います。

そんなところでお答えになっているでしょうか?
季語は本当に奥深くて難しい(=面白い)ですね。
「滝の音」を使った名句などを調べてみると、イメージも沸きやすいかと思います。
またよろしくお願いいたします!

点数: 0

「滝しぶき頬に来るなり空きし口」の批評

添削した俳句: 滝しぶき頬に来るなり空きし口

小沼天道さま、こんにちは。ちょこっとお邪魔します。
御句、迫力ある光景が伝わってきますね。テーマは良いなと思いました。

中七が上五と下五どちらに掛かるかわかりにくい、山本山になりそうな構造かも(「滝しぶき頬に来るなり/空きし口」か「滝しぶき/頬に来るなり空きし口」かわかりにくい)。
まあ意味を考えれば前者だろうとなるので、これはギリセーフとして。

やはり、 「空きし口」が曲者ですね…(「空き」は「開き」の誤字?)。
「滝しぶきが頬に来たので(原因)、口が開いた(結果)」という因果の説明。
俳句はこういう説明を嫌う、とよく言われます。やはり説明的な句は詩情が損なわれますので。
特に季語を原因の説明に使うのは避けたいですね。
滝しぶきが頬まで届いた、ということだけを詠んで、その先の自分の感情・反応は読者の想像に委ねてはどうでしょうか。

それを直すだけで、
・滝しぶきにひたすら濡れてゐたりけり/細見綾子
なんていう名句と近いレベルに☆
まあこの一歩が難しいんですが…(「ゐたりけり」という、ほとんど意味を持たない下五を使う勇気!)。

P.S.
最近の小沼さまの他の方へのコメントがけっこう鋭くて、勉強させていただいていますー。

点数: 2

「足軽やかな帰り道」の批評

添削した俳句: 足軽やかな帰り道

木村さま、はじめまして。
自由律俳句をめざされているのですね!すごい、応援します☆
御句は自由律&無季ですね。自由律については私も勉強不足なので参考程度に読み流してください。

自由律俳句も立派な俳句のジャンルだと思います(俳句ではない、という意見もあるようです)が、当然に独特の難しさがあると思います。
俳句がなぜ五七五を定型としているかと言えば、それが聞いていて心地よいリズムとしてスッと心に入ってくる、という大きなメリットがあるからですよね。
その定型という武器を(あるいは、季語という武器さえも)わざわざ自分から手放すわけですから、よほど詩がないと成功させるのは難しいと思います。

・まっすぐな道でさみしい/種田山頭火
・咳をしても一人/尾崎放哉
といった自由律の名句は、短い言葉の中に奥深い余韻を備えているところに魅力があると思います。

そういう視点で見ると、御句は決して悪くはないと思いますが、学校にせよ仕事にせよ、帰り道は用事を終えた解放感で、足が軽やかになる人が大半だと思います。そう考えるとやや当たり前すぎる感じがします。
先の山頭火の句のように「まっすぐな道はなぜさみしいんだろう?」と読者に考えさせる余白が出ると、より深みのある良い句になるのではないでしょうか。

私は自由律を詠んでいないので、下手な提案句はやめておきます。感想だけでごめんなさい。

最後に。もちろんこのサイトに自由律俳句を投稿するのは全く問題ないと思います。
ただし私の知る限り、この道場に参加されている方はほとんど全員、有季定型をベースとして作句されている方々です。そのため、自由律俳句に対してどこまで的確なアドバイスができるかは未知数な部分があると思います。
もし自由律を極めたいのであれば、そういった結社などに参加されることも検討してもいいと思いますよ。(決して、自由律はこの道場に投稿するなとか、そういう意味ではありません)

長々失礼しました。
果敢なチャレンジ、あらためて応援しております。

点数: 1

慈雨さんの添削2ページ以降を見る

トップページへ
添削依頼をする!

「私はロボットではありません」にチェックを入れてください。

▼添削依頼された俳句の検索

▼添削と批評(返信)の検索

ページの先頭へ

俳句添削道場の使い方。お問い合わせ

関連コンテンツ