「鶏の声高らかに梅雨明の朝」の批評
回答者 北野きのこ
添削した俳句: 鶏の声高らかに梅雨明の朝
塩豆さんこんばんは。
いつもお世話になっております。
九州の大雨特別警報のニュースを見て、とても心配しています。
現地の情報を見聞きする度に胸が苦しくなります。
塩豆さんもぜひお気を付け下さい。
腹胃壮さん北海道の私にも心配りを頂きありがとうございます。
私の住む地域は小雨程度の降雨しか無く、いたって平和です。
道内の離れた場所に住む友人の家の周りでは被害が出ているようですが…。
皆さん何卒ご注意下さい。
さて掲句の感想を述べさせて頂きます。
季語と聴覚に訴える表現の効果で作者の実感が伝わってきます。
きっと晴れ晴れとした気分で一日が始まるのでしょうね。
「高らか」「鶏」「声」「梅雨明け」「朝」…それぞれにややイメージの重なりがある気もしますが、削りすぎたり、ゴテゴテと言葉を盛ったりしてはすっきりとした雰囲気を損なうとも思いました。
すっきりと気持ちの良い印象を強調するために句またがりを回避してはどうでしょうか。
梅雨明や一番鶏の高らかに
先日塩豆さんが議論されていた「や」の後が体言止めで終わらないパターン。
しかも連用形にして、続く動詞を想像させる形ですね。
成功すれば余韻を作り出せると思っていて、私は嫌いではないのですがいかがでしょうか。
…と、ここまで書いてから掲句の「高らかに」は「声」を修飾するものではないのでは、という考えが浮かんできました。
鶏の声/高らかに梅雨明けの朝
という切れがあると考えると、後半以降を修飾していると考えるのが正解…?
「梅雨明けの朝が高らかにやってきました!」という内容だと仮定して、もう一案考えてみました。
高らかな梅雨明け空や鶏の声
どちらが正解かな?(どちらも不正解!?)
以上長々と失礼しました!
点数: 3