俳句添削道場(投句と批評)

みつかづさんの添削最新の投稿順の112ページ目

「この趣味でよかった値上げ春近し」の批評

回答者 みつかづ

添削した俳句: この趣味でよかった値上げ春近し

 
ゆとりろさん。こんばんは。貴句、拝読いたしました。
結論から申し上げます。
「問題点が3つあり、具体的な景が立ち上がらず、作者コメントに核の詳細の
具体的な記載が何も無いので誰にも添削不可能」。

①:「この趣味」が空白過ぎて分からない(致命的)
俳句において、「具体を伏せる」、「読者に委ねる」事自体は、寧ろ高度な
技法でございます。ですが、この貴句では成立条件が満たされておりません。
「この趣味」という語は、
・指示語
・既知情報
・文脈共有
上記があって初めて成立条件を満たし、機能いたします。
ところが具体性が全く無い(俳句以外に川柳でも、短歌でも、狂歌でも、
作詞でも、ネット将棋でも、ネット麻雀でも、何でも多数在り得る)ので、
「金が掛からない趣味で良かった」という凡庸な生活感想文だけしか
残っておりません。
俳句は「季語を含んだ17音の短詩」と定義されておりますので、
詩っぽくないなとの読後感が読者に残ってしまいます。

②:「よかった」の直接性と「値上げ」の説明化(核心)
構造を意味的、文法的に分析いたしますと、
・この趣味でよかった→ 結論(評価)
・値上げ→ 理由
・春近し→ 状況説明
上記の構造になっております。
つまり、「感情→理由→季語」という、「説明文」の順序であり、
俳句としては最も避けたい構造でございます。
本来なら「具体→状況→ 読後に感情が滲む」であるべきところを、
感情を最初に言い切ってしまっておられます。結果として、
・「値上げ」は発見でも象徴でもなく
・「よかった」の根拠説明に格下げされている
ここで既に、句の駆動力は失われています。つまり、短詩ではなくなっております。

③:季語「春近し」誤用
季語「春近し」は晩冬・時候の分類でございます。
ところが、投句日は立春を過ぎており、季節は既に春(初春)でございます。
なのに「春近し」と表現してしまうと、「近し」が矛盾してしまいます。
俳句は四立(立春、立夏、立秋、立冬)、四至(春分、夏至、秋分、冬至)と
いった二十四節気に基づく季節分類による季語の季節分類になっておりますので、
要注意でございます。
問題点と考えられる部分の考察は以上でございます。

句の核が「感動なのか」、「価値判断なのか」、「社会状況への皮肉なのか」、
「趣味そのものへの愛着なのか」が読者側が客観的に判別不能でございます。

添削とは、「句の核を保存したまま、表層を調整する行為」、
即ち、作者コメントと句の字面の構造を比較、精査し、
言葉が足りていなければ「添」え、言葉が多過ぎるなら「削」ぐ。
その際は作者に心を寄り「添」え、改めたいとの我欲は「削」ぐ。
それが俳句「添削」。

ところが、今回の貴句は以下の理由で誰にも添削は不可能でございます。
・保存すべき核が「金が掛からない趣味で良かった」以外に客観的読解が不可能
・俳句的な核としてはあまりに弱い/一般的

できるのは改作・改悪だけ。私めはそれしたくないので、今回は案を示しません。
ただ、問いとヒントは提示いたします。

・「この趣味」とは具体的に何でしょうか?
・値上げと趣味の関係を、評価ではなく具体景で示す
・季語を状況説明ではなく、季節感を伴う具象、心象として使う
上記3点を意識して、1句に落とし込む。

俳句は「季語を含んだ17音の短詩」ですので、説明文、感想文になって
しまうと詩とは言わないですよね。
それを心得ておかれると、作句が上達していくものと考えられます。

以上でございます。お目通しいただき、感謝いたします。
 

点数: 1

「土くれを押し上げたりや福寿草」の批評

回答者 みつかづ

添削した俳句: 土くれを押し上げたりや福寿草

 
おはようございます。貴句、拝読いたしました。
素材の選択自体は非常に良いですよね。福寿草の力強さも表現されております。

ただ、問題点もございますので、それは心を鬼にして列挙いたします。
そしてきびしい事を書きますが、c_riverさんは褒められない限り「いいね」を
押しませんよね。それでは伸びしろが感じられませんし、コメント書く方も
「時間を無駄にしちゃったかな」と思う訳ですよ。何故なら段位が伸びないので。

したがいまして、私めは「いいね」が押される様になるまでは
添削案を提示いたしません。ご自身でお直しくださいませ。

以下、問題と考えるられるべきところ。
①:助動詞「たり」の二義性
助動詞「たり」は存続と完了の意味が有り、存続に重点が置かれる助動詞です。
「押し上げたり」の措辞より、「押し上げ続けている状態」、
「押し上げ終わった状態」の2つの意味がが同時に発生しております。
問題なのは、そのどちらも映像として不自然になり得る点。
前者は「何時間、何週間観察し続けているの? という疑問」が、
後者は「もう押し上げ終わったなら、何故今、それを詠嘆する?」という疑問」が
それぞれ立ちます。
つまり、「多義性ではなく、時間軸の未整理」が引き起こしている問題。

②:中七の間投助詞「や」の詠嘆の配置
「や」の詠嘆は本来、「句の焦点を提示する」、「読者の視線を固定する」強めの
切れ字効果も持ちます。
しかし中七に置く場合は「上五で景を出す」、「中七で強く切る」、
「下五で回収する」という高度な構成力が要求されます。
この貴句では
・上五:土くれを
・中七:押上たりや
・下五:福寿草
上記の構成により、具体的に何を詠嘆しているのかが一瞬遅れる作りなんですよね。
何故なら付属語である助動詞「たり」が詠嘆されているのですから。
結果として、「技巧に見える」、「でも効果は出ていない」という状態。

③:季語の像のブレ
福寿草の花言葉は以下でございます。
1:幸せを招く
2:永久の幸福
3:祝福
4:回想・思い出
5:悲しき思い出
上記より、「押し上げる」という動詞と結び付きますと、
「困難を乗り越える象徴」、「努力・根性・縁起」のという観念寄りの読みに
読者は傾き易くなり、景が比喩に引きずられ結果として
季語の鮮度が落ちてしまいます。

問題点の分析は以上です。

間投助詞「や」の意味、効果、位置を考えて推敲なさる段階に
c_riverさんは到達しております。
「間投助詞「や」の詠嘆を使うな」ではございません。
「どこに置くと何が起きるか?」を考える段階に達しているのでございます。
そしてその思考を避け続けますと、「適当に「や」を置いておけば良い」という
悪い癖が付いてしまいます。それは避けるべきでしょう。

間投助詞「や」を中七に置く場合、下五の手前で読者の視線が一度止まるので、
どこを詠嘆させたいのかを一段意識すると、句の像が締まります。
ご自身で吟味し、お考えいただきたいと、私めは考えております。
また助動詞「たり」は時間の幅を持つ助動詞ですので、
景の瞬間性との関係も一度考えてみますと、面白いかもしれません。
完了の助動詞であれば他に「つ、ぬ」もございますので。

今回、私めからは添削案は一切示しません。c_riverさんが「いいね」を押せる程まで
受け入れられないのであれば、ご自身で自己添削なさっていただきとう、また、
ご自身の中で「押せない理由」も整理なさっていただきとう存じます。
そして、もし「ご自身でどの様な推敲して元句を自己添削なさったのか?」、
「どの様に元句を推敲すれば良いのか、迷っている箇所がある」とコメントを
頂けましたら、その際は「この様な解決策が考えられますが如何でしょうか?」と
快くお返事させていただきたいと私めは考えております。

最後に、作者のフォームで他者の間違いを指摘したくございませんが、
あらちゃんさんがお書きの「押し上ぐ+花」は活用形の間違い。
終止形で意味が切れております。正しい連体形は「押し上ぐる」。
何故なら、動詞「上ぐ」はガ行下二段活用ですから。
複合動詞を含めて上二段活用、下二段活用、カ変動詞、サ変動詞、ナ変動詞、
それに準ずる活用形の助動詞は連体形に「る」が付き、終止形と形が異なる点は
要注意でございます。ベテランでも意外と間違い易い点なので。

以上でございます。お目通しいただき感謝いたします。
 

点数: 0

「金色の喇叭水仙ジャズの夜」の批評

回答者 みつかづ

添削した俳句: 金色の喇叭水仙ジャズの夜

  
気まぐれ亭いるかさん。おはようございます。
頂きましたコメントに対してのお返事でございます。
この貴句に関してましては別途、コメントを書かせていただきたいと存じます。
お題「喇叭水仙」がとても難しいので、よくよく考えてからでないと
失礼になってしまいますので。

私めは詰将棋作家歴10年超。詰将棋創作には感情が入る余地は一切無く。その為、
「論理的思考」以外は全く意味が無く、常に仮説→検証→試作→推敲の
段階、過程を経て1つの作品の完成に至ります。
そして、私めの思考は哲学的には「唯物弁証法」が土台に在り、
テーゼ(命題)とアンチテーゼ(反命題)からジンテーゼ(統合)に至ります。
また、詰将棋創作(添削)も俳句創作(添削)も相違点はあるものの
共通点が非常に多いので、結果としてコメントが論理的になる訳でございます。

次に、俳句添削とコメントについて。「添削」の語源の語義的な意味から、
以下のスタイルを採用しており、それは私めなりの作者への配慮の為でございます。
「句の字面と作者コメントを比較、精査して元句の核(=作者の感動の核)を
尊重して残したまま元句の問題点だけを解決し、元句の良さを引き立たせる為に
「言葉が足りていなければ「添」え、言葉が多過ぎるなら「削」ぐ。
「その際は作者に心を寄り「添」え、改めたいとの我欲は「削」ぐ。それが
「添削」。添削とは、作者が次の1句を自力で育てられる様に支援する行為である。
故に、触らなくて問題無い所は触らずに変えない。まず、語順を見よ。
そうでなければただの改作・改悪であり、ただの自己満足と自己顕示欲の表明に
堕して終わる。結果、作者の成長の可能性を破壊してしまい、
作者の今後に何等の寄与ももたらさない。
野菜そのものを手渡さず、野菜の種や苗を手渡し育て方、特徴、注意点を伝える。
それが、真の助言や支援であり、きびしさの中から出る優しさでもある。
また、他者作の改作は自作の推敲レベル、添削レベルの向上には殆ど寄与しない。
何故なら、良さの引き立て方の理解レベルが殆ど上がらないからである」
上記が根底にございます。

次に、私めの作品に皆さんがコメントを書いてくださるのは全く歓迎でございます。
ただし、「句の核を理解しないまま触るな、勝手に核を壊して作り変えるな」、
「読解し切れないなら添削案は書かず、感想文だけ書いていただければ良い」という
だけの事で、改作するなら、「みつかづの作品を見て、私も詠みたくなった」と
ご自身のフォームで投句していただきたいと考えているだけでございます。
何故なら、改作が優れていればその方の改作案をコメントとして私めから
お礼を遠慮無く書けますし、コメントに「いいね」押すかどうか迷わなくて
済む訳なんですよ。配慮としても、礼儀作法としても、筋が通りますよね。

ちなみに、私めが他者様の作品を添削する場合、まず自分の読解力だけで
句の字面から句景の読みが何通り成り立ち、句意が成立しているかを仮説、検証し、
良さや問題点に対する私めの仮説、検証の裏付けを複数の対話型AIを用いて
取ってから添削コメントを書いております。結構時間を掛けております(笑)。
でも、作者を尊重する為なら、それ位の手間は惜しまないという意味でございます。

ですので、皆さんが私に臆する事なんて何も無いのでございます。
感想文をガンガン書いてくださって良いですし、核を壊さずに添削できるなら
していただいても構いません。また、改作であってもご自身のフォームに
お書きいただけるのであれば、それも歓迎でございます。

以上でございます。長文にお目通しいただき、感謝を申し上げます。
 

点数: 0

「寝たきりの父のHOPEや余寒かな」の批評

回答者 みつかづ

添削した俳句: 寝たきりの父のHOPEや余寒かな

 
白梅さん、こんにちは。貴句、拝読いたしました。
お父様との思い出も沢山お有りでしょうし、医師もお優しい方ですね。

それだけに、問題点が解決されていないのは惜しまれますね。3点。

①:ダブル切れ字の位相が同じ
本来、切れ字には以下の役割分担が期待されますし、それを期待して使います。
・上五中七の「や」=像提示、切断
・下五の「かな」=全体回収、余韻
この貴句では以下の様に、感情が分断されたまま並置されております。
・「HOPEや」=感慨(亡き父の行為・記憶)
・「余寒かな」=別の感慨(季節感)
結果、どちらも意味的にも情緒的にも接続しておらず、
季語「余寒」で回収し切れておりません。

②:「寝たきりの父」が亡父とは分からない
句の字面だけを見た場合、以下の様な自然な解釈が成り立ちます。生死が未確定。
・寝たきり=現在進行形(でも口は動かせるし自力呼吸もできる)
・父=存命の可能性が高い
・HOPE=今も吸う行為が続いている様に見える
作者コメントを読んで初めて「亡き父」だと分かる構造は、
回想句としては致命的な曖昧さですかね。

③:「寝たきり」という措辞の音数的、機能的問題
・「寝たきり」=4音
・情報量としては「病臥」「臥せる」等で代替可能
・しかも句意の核心は「病を患っている父が吸っていたHOPE」であって、
「寝たきり状態」そのものではない
結果として以下の弊害が起き、情報として重いが、機能は弱い語になっております。
・音数を圧迫
・季語、時間表現を削る
・過去性の表現が入らない

そこで、私めからの添削提案は以下でございます。作者コメントも極力反映したい。
慈雨さんへのお返事にありました「父が寝たきりになったのはちょうど今頃、
その後の経緯(五月に死亡)の事もあるので、春が来て嬉しいという
気持ちはなかったのです」を句に反映させる為に、季語も変えます。
故父は「こふ」と読みます。詠嘆を全部外しても大丈夫。

・故父吸いし病臥のHOPE春浅し

添削案の効果は以下です。
①:「故父吸いし」。主体、時制、視点を上五だけで確定
・「故父」→生死の確定(誤読の余地無し)
・「吸いし」→過去助動詞「し」の連体形「き」→作者自身の目撃体験の記憶
亡き父の具体的な行為の記憶として立ち上がりますよね。

②:「病臥」の選択
これで、作者コメントの「心臓が悪く高血圧(=病気)」、
句にお書きの「寝たきり」の両方が一語で入ります。

③:季語「春浅し」への変更
季語「春浅し」は、「立春とは名ばかりの頃」の事を意味します。
・暦の上では春である(でも時間は進んでしまう)
・しかし、まだ浅い(本格的には来てほしくない)
・期待と拒否が同時に存在する
つまり、「春が来てほしくないが、来てしまった。それ以上進んでほしくない」との
作者心情を、詠嘆を使わずに季語そのものを感情装置として使い、
・言い切れない思い
・立ち止まり
・時間の残酷さ
上記が自然に滲み出る様にしたつもりです。作者感情が季語と過去形に
内包されているので、詠嘆は両方外しても問題無いとの判断です。

以上、参考になりましたら幸いでございます。
お目通しいただき、感謝いたします。
 

点数: 1

「泥水に姿落としぬ朧月」の批評

回答者 みつかづ

添削した俳句: 泥水に姿落としぬ朧月

 
凡さん。こんにちは。貴句、拝読いたしました。
泥水と朧月の対比(下と上、濁と清)が面白いですよね。

それだけに、2点惜しいなと私めは思いました。

①:他動詞と自動詞の選択ミス
「落とす」はサ行四段活用の他動詞。
つまり、何かが朧月を泥水に落とした(=水面に映した)事になります。
ですが作者コメントを拝見いたしますと、「昼は濁った泥水でも、
夜その水面に写る月は綺麗」とあります。つまり、落とした主体が不在。
泥水に朧月自体の光が反射して、水面に映って綺麗なんですよね。
でしたら、タ行上二段活用の自動詞「落つ」を使う方が自然です。

②:助動詞の選択
助動詞「ぬ」は完了。つまり「泥水の水面に映った(その後の事は無関係化)」。
ですがこれも作者コメントがヒントで、「昼は濁った泥水でも、夜その水面に写る
月は綺麗」だったんですよね。
でしたら、「泥水の水面に映った。そしてその状態が(しばらく)続いている」と
表現なさる方が、季語「朧月」により作者の感慨が乗るのではないでしょうか。

私めからの添削提案は、「他動詞を自動詞に変え、助動詞を変える」ものです。

・泥水に姿落ちたる朧月

これで、元句の主体不在も文法ミスも全て解決されます。
ご参考になりましたら幸いです。

補足
完了の助動詞は原則として活用語の連用形に接続します。特徴や違いは以下。
「ぬ」
活用:な/に/ぬ/ぬる/ぬれ/ね(ナ変型)
特徴:自発的で意思とは無関係な動作や、自然発生的な作用を表す動詞に
付く場合が多い。
例)「風吹きぬ」、「海荒れぬ」
「つ」
活用:て/て/つ/つる/つれ/てよ(下二段型)
特徴:人の意志が加わった動作を表す動詞に付く事が多い。
例)「物を見つ」、「品を受けつ」
「たり」
活用:たら/たり/たり/たる/たる/たれ(ラ変型)
特徴:完了よりも存続、継続に重点が置かれる。
ラ変動詞以外の動詞・動詞型活用の助動詞の連用形に付く
「り」
活用:ら/り/り/る/れ/れ(ラ変型)
特徴:完了よりも存続、継続に重点が置かれる。
サ変動詞の未然形か、四段活用動詞の已然形にしか接続しない

以上でございます。お目通しいただき、感謝いたします。
 

点数: 2

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