「寝たきりの父のHOPEや余寒かな」の批評
白梅さん、こんにちは。貴句、拝読いたしました。
お父様との思い出も沢山お有りでしょうし、医師もお優しい方ですね。
それだけに、問題点が解決されていないのは惜しまれますね。3点。
①:ダブル切れ字の位相が同じ
本来、切れ字には以下の役割分担が期待されますし、それを期待して使います。
・上五中七の「や」=像提示、切断
・下五の「かな」=全体回収、余韻
この貴句では以下の様に、感情が分断されたまま並置されております。
・「HOPEや」=感慨(亡き父の行為・記憶)
・「余寒かな」=別の感慨(季節感)
結果、どちらも意味的にも情緒的にも接続しておらず、
季語
「余寒」で回収し切れておりません。
②:「寝たきりの父」が亡父とは分からない
句の字面だけを見た場合、以下の様な自然な解釈が成り立ちます。生死が未確定。
・寝たきり=現在進行形(でも口は動かせるし自力呼吸もできる)
・父=存命の可能性が高い
・HOPE=今も吸う行為が続いている様に見える
作者コメントを読んで初めて「亡き父」だと分かる構造は、
回想句としては致命的な曖昧さですかね。
③:「寝たきり」という措辞の音数的、機能的問題
・「寝たきり」=4音
・情報量としては「病臥」「臥せる」等で代替可能
・しかも句意の核心は「病を患っている父が吸っていたHOPE」であって、
「寝たきり状態」そのものではない
結果として以下の弊害が起き、情報として重いが、機能は弱い語になっております。
・音数を圧迫
・季語、時間表現を削る
・過去性の表現が入らない
そこで、私めからの添削
提案は以下でございます。作者コメントも極力反映したい。
慈雨さんへのお返事にありました「父が寝たきりになったのはちょうど今頃、
その後の経緯(五月に死亡)の事もあるので、春が来て嬉しいという
気持ちはなかったのです」を句に反映させる為に、季語も変えます。
故父は「こふ」と読みます。詠嘆を全部外しても大丈夫。
・故父吸いし病臥のHOPE春浅し
添削案の効果は以下です。
①:「故父吸いし」。主体、時制、視点を上五だけで確定
・「故父」→生死の確定(誤読の余地無し)
・「吸いし」→過去助動詞「し」の連体形「き」→作者自身の目撃体験の記憶
亡き父の具体的な行為の記憶として立ち上がりますよね。
②:「病臥」の選択
これで、作者コメントの「心臓が悪く高血圧(=病気)」、
句にお書きの「寝たきり」の両方が一語で入ります。
③:季語「春浅し」への変更
季語「春浅し」は、「立春とは名ばかりの頃」の事を意味します。
・暦の上では春である(でも時間は進んでしまう)
・しかし、まだ浅い(本格的には来てほしくない)
・期待と拒否が同時に存在する
つまり、「春が来てほしくないが、来てしまった。それ以上進んでほしくない」との
作者心情を、詠嘆を使わずに季語そのものを感情装置として使い、
・言い切れない思い
・立ち止まり
・時間の残酷さ
上記が自然に滲み出る様にしたつもりです。作者感情が季語と過去形に
内包されているので、詠嘆は両方外しても問題無いとの判断です。
以上、参考になりましたら幸いでございます。
お目通しいただき、感謝いたします。
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亡き父の想い出。
心臓が悪く高血圧、タバコなど禁忌なのに、
介護ベッドで起こしてもらって吸っていた。
お医者も黙認されていた。
優しい先生だった。