「金色の喇叭水仙ジャズの夜」の批評
気まぐれ亭いるかさん。おはようございます。
頂きましたコメントに対してのお返事でございます。
この貴句に関してましては別途、コメントを書かせていただきたいと存じます。
お題「喇叭水仙」がとても難しいので、よくよく考えてからでないと
失礼になってしまいますので。
私めは詰将棋作家歴10年超。詰将棋創作には感情が入る余地は一切無く。その為、
「論理的思考」以外は全く意味が無く、常に仮説→検証→試作→推敲の
段階、過程を経て1つの作品の完成に至ります。
そして、私めの思考は哲学的には「唯物弁証法」が土台に在り、
テーゼ(命題)とアンチテーゼ(反命題)からジンテーゼ(統合)に至ります。
また、詰将棋創作(添削
)も俳句
創作(添削)も相違点はあるものの
共通点が非常に多いので、結果としてコメントが論理的になる訳でございます。
次に、俳句添削とコメントについて。「添削」の語源の語義的な意味から、
以下のスタイルを採用しており、それは私めなりの作者への配慮の為でございます。
「句の字面と作者コメントを比較、精査して元句の核(=作者の感動の核)を
尊重して残したまま元句の問題点だけを解決し、元句の良さを引き立たせる為に
「言葉が足りていなければ「添」え、言葉が多過ぎるなら「削」ぐ。
「その際は作者に心を寄り「添」え、改めたいとの我欲は「削」ぐ。それが
「添削」。添削とは、作者が次の1句を自力で育てられる様に支援する行為である。
故に、触らなくて問題無い所は触らずに変えない。まず、語順を見よ。
そうでなければただの改作・改悪であり、ただの自己満足と自己顕示欲の表明に
堕して終わる。結果、作者の成長の可能性を破壊してしまい、
作者の今後に何等の寄与ももたらさない。
野菜そのものを手渡さず、野菜の種や苗を手渡し育て方、特徴、注意点を伝える。
それが、真の助言や支援であり、きびしさの中から出る優しさでもある。
また、他者作の改作は自作の推敲レベル、添削レベルの向上には殆ど寄与しない。
何故なら、良さの引き立て方の理解レベルが殆ど上がらないからである」
上記が根底にございます。
次に、私めの作品に皆さんがコメントを書いてくださるのは全く歓迎でございます。
ただし、「句の核を理解しないまま触るな、勝手に核を壊して作り変えるな」、
「読解し切れないなら添削案は書かず、感想文だけ書いていただければ良い」という
だけの事で、改作するなら、「みつかづの作品を見て、私も詠みたくなった」と
ご自身のフォームで投句していただきたいと考えているだけでございます。
何故なら、改作が優れていればその方の改作案をコメントとして私めから
お礼を遠慮無く書けますし、コメントに「いいね」押すかどうか迷わなくて
済む訳なんですよ。配慮としても、礼儀作法としても、筋が通りますよね。
ちなみに、私めが他者様の作品を添削する場合、まず自分の読解力だけで
句の字面から句景の読みが何通り成り立ち、句意が成立しているかを仮説、検証し、
良さや問題点に対する私めの仮説、検証の裏付けを複数の対話型AIを用いて
取ってから添削コメントを書いております。結構時間を掛けております(笑)。
でも、作者を尊重する為なら、それ位の手間は惜しまないという意味でございます。
ですので、皆さんが私に臆する事なんて何も無いのでございます。
感想文をガンガン書いてくださって良いですし、核を壊さずに添削できるなら
していただいても構いません。また、改作であってもご自身のフォームに
お書きいただけるのであれば、それも歓迎でございます。
以上でございます。長文にお目通しいただき、感謝を申し上げます。
添削のお礼として、みつかづさんの俳句の感想を書いてください >>
ジャズバーの仄かな灯りの中一輪の喇叭水仙が咲いている
金色に輝くサックスの音が花の香りと共に深い夜へと誘っている
一句一遊 自選没句 お題「喇叭水仙」
来ましたー、苦手なお題である長文7文字季語、、
しかも、水仙ではなく付属季語の"喇叭"水仙
その結果、見事に納得いかない句ばかり出来ました(涙
本句も「金色の」の効果の是非、「喇叭」「ジャズ」の安易な取り合わせ、、、
色々と隙の多い句となっておりますので皆様色々とご指摘/ご提案いただきたくよろしくお願いします