こんにちは。お久しぶりです。貴句、拝読いたしました。
以下長文、お含みおきください。
動詞「変わる」を使わずに空の色が空色(水色の言い換え)に変わった感慨を
表現なさりたかったのかなと、私めは初読で考えました。
イサクさんが仰った◆の2つめに近い印象は私めも初読で受けまして、
演出ではないかと考えましたが、これを安易に同義反復と決めてしまうのは
いささか早いのではないかと、私めは慎重に読みを入れてみました。
そして、開いて確認できた作者コメントの「快晴」。腑に落ちました。
私めが気になったのは以下の点でございます。
前提:「知覚→判断」の運動が句中に可視化されていない
①:認識の契機が書かれていない
・何故「春来る」と判断したのか
・何を見て、どの様に変化を感じたのか
上記が、「空すべて空色となり」に完全に内包されたままで、
「春来る」という判断の根拠、視覚変化の因果の線が、語としては提示されているが、論理的接続が句中で起きていない様に感じられました。
つまり「情報はあるが、運動が無い」様に見えてしまうのでございます。
結果として、
・実景なのか
・心象なのか
・気象の描写なのか
・比喩なのか
上記の焦点が定まりにくいのではないか、と。
②:同語反復が「変化」ではなく「説明」と解釈されてしまう危険性
元句の空色は水色の言い換えにも解釈は十分可能でございます。
しかし元句では、「空」→「空色」への移行が、
時間変化なのか、それとも状態説明なのかが文法的に曖昧でございます。
結果、「空は最初から空色では?」という解釈が排除し切れないのでございます。
③:季語
「春来(きた)る」が「判断」に見え易い
季語「春来る」(私は助動詞「たり」が見えない為、私めは「来たり」と
表記いたしますが、それは置いといて)は確かに季語「立春」の傍題で
共に「初春・時候」の季語でございますが、微妙にニュアンスが違います。
立春:雪が降っていようが寒かろうが、「今日から初春です」との制度的切り替え
春来(きた)る:何かが変わった「兆し」を捉え、作者の感覚が介在。
・感覚的、体感的
・「あ、春が来たな」と主体が気付く瞬間
・主観・内面・変化の知覚
つまり、季語「春来(きた)る」は「認識の成立そのものを詠む季語」との
解釈が成り立ちます。
元句の字面では、
・空が空色なのは「いつから」か
・変化なのか、恒常なのか
・見た瞬間なのか、既知の事実なのか
上記がやや曖昧で結果、季語「春来る」が「暦的宣言」、つまり立春と完全に
同義であると解釈できてしまいます。それでは季語表記を変えた意味が表れずに
知覚 → 認識の流れが核が表現し切れておらず、勿体無いと私めは感じられました。
上記3点の解決策として、私めからの添削
提案は以下の2つでございます。
季語を「春来」(はるく)に変え、古語句にて申し訳ございません。
動詞「来」の読みはAは「き」(連用形)、Bは「く」(終止形)でございます。
A:見し空は空色なりき春来けり(認知完結。発見の気付き)
B:見し空は空色なりき春来めり(認知未確定。観察の途中)
直接過去の助動詞「き」は1回目が連体形。2回目は終止形で切っております。
過去の助動詞を1句に3回使うのは珍しいかもしれません。
A案の特徴は以下でございます(伝聞過去の助動詞「けり」。連用形接続)
・気付き、詠嘆、腑に落ちた瞬間
・「あ、春が来たのだ」
・暦への気付きに季語の軸が乗る
B案の特徴は以下でございます(視覚推定の助動詞「めり」。終止形接続)
・視覚情報(空の色)からの推定
・「どうやら春が来たらしい」
・感覚の発見に季語の軸が乗る
Aの方が作者の実感に近いのではないかと私めは考えますが、
元句の以下の構造上の問題が解決されたのではないかと思います。
・「すべて」=極端化
・「空色」=抽象色名
・「となり」=結果状態の固定
上記が合わさり、
・実景(観測可能な具体)
・抽象(概念的把握)
上記が一気に跳躍してしまっており、読者は
・「何を見たのか」は分からない
・しかし「どう思ったのか」は強制される
→説明的なのに、具体が無い。
最後に、俳句
の構造論。
何故「説明的」と「委ね過ぎ」が同時に成立するのかという点について。
俳句特有の現象で、構造的に申し上げますと
・結果だけが書かれている
・過程が完全に省略されている
そのため、読者は
・「なぜそう思った?」と迷う(=委ね過ぎ)
・「そう感じろと言われている」と感じる(=説明的)
上記は叙述の省略ではなく、「思考の省略」が起きている状態ではないかと、
私めは考えております。
そして、抽象が実景から立ち上がっていない様に見えてしまいますと、
本来なら、
・実景の差異(色・光・濃淡・気配)
・認知の変化
・季語による確定
という階梯があるべきところ、
・①と②が同語で圧縮
・③が飛躍的に接続している。
よって、「比喩か? 概念か? 実景か?」が読者側で整理不能になる。
上記の様に、私めは俳句の構造をメインに捉えておりますが、皆さんはどの様に
お考えでしょうか? あくまでも「構造面」(句の推敲段階)の観点に興味があり
それが私めの知りたい所であり、感覚論(最初の句想。パッと見のイメージ)の
お話ではございません。
皆さんの構造論をお聞かせいただければ幸いに存じます。
以上、ご参考になれば幸いでございます。
お目通しいただき、感謝いたします。