「見つめ合う母子裸像春の雨」の批評
回答者 いるか
添削した俳句: 見つめ合う母子裸像春の雨
田上大輔さん、こんにちは
御句拝読しました
本句ではまずきになったおは中七の読みですね
初読「ぼしらぞう」とよみおや中五?となり「おやこらぞう」は六、、あ、「ぼしはだかぞう」か!となりました
なかなか裸像をはだかぞうとよまないのでは、、
次に問題としている季語が動くですね
これはまた難しいですね
裸像も雨も一年中あるものですから、、
そういう時は季語の本意に立ち返るものだと思っています
霧雨は全てを包み込む朧げでミステリアスイメージ、春の雨は明るく穏やかなイメージ、五月雨は長く降り続く陰鬱なイメージ、冬の雨は降るものを凍らせる厳しいイメージ、、
某N先生の俳句練習法の一つに楽しいな俳句というものがあり、季語の本意を別の言葉で置き換えるというものがあります
https://haikudai.com/post-416/
本来の使い方と逆ですが、季語の本意を考えるときに役に立つ考え方かと思います
今回の例では以下の様に考えられます
見つめ合う母子裸像おだやかだ(春の雨 あってますね
見つめ合う母子裸像いんうつだ(五月雨 うーん?
見つめ合う母子裸像ミステリアス(霧の雨 うーん、
見つめ合う母子裸像きびしいな(冬の雨 うーん、、、
そういう意味でいうと春の雨の季語の斡旋はあっているかと思います
ただ先の件があるのでそこだけすこし
見つめ合う母子の裸像や春の雨
今後ともよろしくお願いします
点数: 2