「七の段苦手なままで進級す」の批評
回答者 イサク
こんばんは。
げば様と別角度で提案しよっかなーと思っていましたが、げば様フォローの発言に変更します(ちょうど質問もありましたし)
この句は「進級」という季語からの連想で作られています。なので「七の段苦手」は「進級」から想像できそうな範囲ですし、「取り合わせの句」とは言いにくいです。
で、この句を仮に「取り合わせの句」とみた場合「七の段苦手」が「季語から連想できる範囲=季語と近い」、ということになります。
で、げば様の手法の別角度からの解説。
「苦手」を残したまま上五「七の段」を「進級とは関係なさそうなこと」に変えてしまうことで、「関係ないはずの二つのモノゴトが関係ありそうに思えてきて、受け手の方で勝手に想像が膨らむ」わけです。これが俳句の取り合わせの原理。
これをどう鑑賞するか?
それは受け手に委ねられるわけです。どこに詩を感じて、どこに驚きを感じるか。「関係ないじゃん!」と言ってしまっては勿体ないところですね。
げば様の提案の中では「秒針の苦手なままに進級す」がイサク好みですが、「夕暮れの苦手なままに進級す」の風景の方が一般受けはよさそう。
ヒッチ様と慈雨様がそれぞれ提案しているアイデアについては・・ここでは遠慮しときますね
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なんでだろう、七の段だけやたら難しい、、
あるあるの類想、、
もう一歩先に突破する推敲が苦手です、、