「見つめ合う母子裸像春の雨」の批評
回答者 なお
田上大輔さん、こんにちは。
御句拝読しました。
出遅れ感強いですし、重複しているところも多いと思いますがご容赦いただき、私からも伝えさせてください。
私が最も気になりましたのは、「母子裸像」の読みです。「ぼしらぞう」だと思います。「母子」は、場合により、「ははこ」でも「おやこ」でもいいかと思いますが、「裸像」は「らぞう」であり、「はだかぞう」ではないと思います。これはよろしくお願いします。
次に、季語が動く、という点ですが、私の個人的見解は、例えば銅像のように一年中あるものは、春に見て感動したら春の季語を合わせるのであって、秋に見て感動したら秋の季語を合わせる。そういうことだと思います。なぜなら、季節というのは、人の(読み手の)気持ち・感情を抜きにしては語れないものであり、読み手が、ああ、春だなぁと感動したら春なのだと思います。
上手く言えませんが、同じ母子裸像でも、季節により、違う季語で詠むことは可能と思いますよ。
お答えになっていないかもしれませんが、よろしくお願いします。
点数: 1
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拙句に「季語が動く」のでは?とご指摘をうけました。
実はこれまで「季語が動く」かどうか、
考えたこともありませんでした。
そこで、これまで作った句の中にそのようなものがないか
探してみたらありました。
霧雨や母子ブロンズの裸像
これは「霧雨」を「春雨」に変えてもあまり変わらないと
おもいます。上記の句をもとに読み直してみました。
よろしくお願いします。