俳句添削道場(投句と批評)

イサクさんの添削最新の投稿順の1385ページ目

「牙の残る骨小さきや花野原」の批評

回答者 イサク

添削した俳句: 牙の残る骨小さきや花野原

おはようございます。

◆「残る」という説明の三音が気になっていました
◆「小さき」の強調も、あまりプラスに働いていない気がしていました
ですが、うまく指摘する方法がその時はみつからず、そのままにしていました。

後出しになりますが、めい様の提案句と、そこからのご自身の推敲句

 花野原ちひさき骨を見つけたり

ここまでこれば、本来の感慨である「牙」を復活させることができるように思いました。

・花野原ちひさき骨に牙のあり
・花野原ちひさき骨にちひさき牙

点数: 1

「卓袱台に紅葉一枚散りにけり」の批評

回答者 イサク

添削した俳句: 卓袱台に紅葉一枚散りにけり

おはようございます。

「紅葉散る」という冬の季語がありまして・・

御句で「冬だ!」とは思わないとしても、「(葉が)散る」という表現は、散らしている木々やその周辺の空間のイメージが出やすいと思います。

提案句の発想は先にコメントをしている二人と同じになります。鈴蘭様の「ひとひら」いいですね。お借りします。

・卓袱台へ紅葉ひとひら来たりけり
・卓袱台に紅葉ひとひらありにけり

点数: 1

「灯油缶冬の夕焼けへと運ぶ」の批評

回答者 イサク

添削した俳句: 灯油缶冬の夕焼けへと運ぶ

おはようございます。はじめまして。
こちらへは初投句ですね。
この一句しか見ていないので褒めどころ、厳しくしどころなどつかみにくいのですがご容赦ください。

◆きれいに収まっており、句の形はできていると思います。

◆この句をそのまま受け取った場合、作中主体の目的地が本当に「冬夕焼」であることになります。
 ですが、「灯油缶」という具体的な生活感のある措辞と、中七下五のファンタジーがごちゃまぜになって、違和感を感じます。

◆なのでこの句は「灯油缶を運んでいる最中に冬夕焼が見えた」という状況を比喩的に言い換えたと思った方がしっくりきます。
 この場合、
 ・灯油缶の数量は?
 ・徒歩?それとも軽トラなどの車両運転中?
 ・最終目的地は?(業務で運んでいる?個人で運んでいる?)
 などの具体的な場面が想像しづらい句ではあります。
 これは、中七下五の十二音がファンタジーへ発散してしまって、リアリティが薄い表現になっているからではないかと推測します。

整理します。
この句の句材は、状況「灯油缶を運ぶ」+風景の季語「冬夕焼」。あと少しだけ、想像のとっかかりとなる具体性を足してあげたいです。
「灯油缶」を省略する方法もあると思いますが、「灯油缶」は句材として面白いと思います。とすれば、説明の動詞「運ぶ」を言い替えたくなりました。

・冬夕焼指に食い込む灯油缶
・灯油缶積み込む前の冬夕焼

点数: 2

「冬支度頬いっぱいの木の実かな」の批評

回答者 イサク

添削した俳句: 冬支度頬いっぱいの木の実かな

おはようございます。

ご本人や他の方のコメントも読んだ上で。

◆季重なりは気になりますね。
 「冬になる前の準備」という秋の季語。この意味を真っ向から使っています。
 リスの行動を擬人化した「冬支度」ですので鮮度は落ちると思いますが、上五でバーンと出て来るのでインパクトは大きいです
 今後のチェックのひとつとして、少なくとも「冬」という漢字の使われている単語は季語かどうか疑いましょうか・・・

◆「冬支度」が季語でなかったとしても、「冬支度ですよ」というた説明の使い方になっています(他の方からもありました)

◆微妙なニュアンスの話なので伝わるかどうか自信ないのですが、
 元の句では作者から「木の実」が見えておらず、頬の中のモノが「木の実」なのか「花や草の種」なのかわからないのでは?と一瞬戸惑いました。
 例えばなおじい様の提案句「道の栗鼠木の実に頬を膨らませ」という形なら「食べている瞬間を作者が見たんだなあ」と言外に想像できます。
 語順・助詞など、わずかなニュアンスの違いですが・・

「リスの一物仕立て」とでもいうべき句ですので、他の方の提案のように「栗鼠」という言葉を入れてしまった方が、句の受け手に優しいですし、想像の映像が安定すると思います。ただ季語は「木の実」だということには注意ですね。
提案句は他の方にお任せします・・

点数: 2

「水路はや濁流となり狗尾草」の批評

回答者 イサク

添削した俳句: 水路はや濁流となり狗尾草

おはようございます。

前の句も拝見しました。

◆客観に寄って作為が減ったと感じます。よい推敲と思います。

◆「水路」この言葉で人間の管理している水路だと想像ができます。
 また「濁流となり」と出てきますので、普段から「流れのある水路」という想像はできます。わたしは都市部の幅50cm~2m程度の水路や管理河川、あるいは田園地帯の農業用水を思い浮かべました。
 人間の管理している「通常時は濁流ではない」水路でさえ「はや濁流となり」ました。大雨を想像させます。

 ここからが俳句季語の力。
 作中主体の視界の中に、「濁流」と同時に「狗尾草」が入ってきます。この秋の季語によって「台風か?秋驟雨か?」という想像が働きます。
 そして「狗尾草」は雑草ですので、水路の付近には他の秋の草も生えていることでしょう。これらの情報によって、受け手の実体験から風景が色々と紡がれていくと思います。
 また、取り合わせの力と、季語の本意から、敢えて言わずとも「この狗尾草はもしかしたら水没してしまうのかもしれない」という想像も可能だと思います。

良い推敲だったと思います。

点数: 3

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