「秋天や掴みどころの無きことば」の批評
回答者 イサク
添削した俳句: 秋天や掴みどころの無きことば
こんばんは。
「掴みどころのない」という慣用句の句です。
「つかみどころ」といえば「ない」ものですので(「つかみどころがある」とは言わないので・・・)、この言い回しは音数でも説明感でも損している気がします。
・言葉とは掴めぬものよ秋の空
こんな風ではいかがでしょう?
点数: 2
回答者 イサク
添削した俳句: 秋天や掴みどころの無きことば
こんばんは。
「掴みどころのない」という慣用句の句です。
「つかみどころ」といえば「ない」ものですので(「つかみどころがある」とは言わないので・・・)、この言い回しは音数でも説明感でも損している気がします。
・言葉とは掴めぬものよ秋の空
こんな風ではいかがでしょう?
点数: 2
回答者 イサク
添削した俳句: まつすぐな実家の帰路や秋の空
こんばんは。
歴史的仮名遣いは海郷様にお任せするとして(他の方にのっかります)
◆「実家の帰路」が気になりました。実家へ帰るのか、実家から本来の住居へ帰るのか、わかりません。どちらへ帰るのか、そこがわからないと「帰」の文字が生きてこないと思います。
海郷様やなおじい様の提案句で、方向を示す助詞「へ」をさらっと加えているのは、そういうことだと思いました。
・秋天や実家への道まつすぐと
・実家よりまつすぐ出でて秋の空
点数: 2
回答者 イサク
添削した俳句: 伏見稲荷の雀蛤となる
おはようございます。
この季語を語るのは難しすぎるのですが、まずは句を見て意味が全くわからなかったので、その点は問題っぽいです。
【雀大水に入り蛤と為る】
◆時候季語(中国の七十二候)
◆寒くなると人里で見かける雀の数が減るのは、海で蛤になっているからだ、という中国の言い伝えから
コメントを見なければ「伏見稲荷」という京都の地名に時候季語を取り合わせただけ、という・・・
コメントを見て、歳時記を見て、ですが、「料理のために処理された雀」はもう蛤にならないんじゃないかなあ・・・というのが意見でした。
時候季語なので時候の感慨をいかに出すのか、だと思いますし、俳句を言葉遊びとするならもう少し遊んでもいいのかもしれません。
チャレンジは大歓迎です。
点数: 1
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