「水澄むや底には獣らしき骨」の批評
回答者 イサク
添削した俳句: 水澄むや底には獣らしき骨
こんばんは。
水が澄んだので底が見えた、○○があった、というのは因果もありますし、類想でおそらく多数出てくると思うので(俳句生活は俳ポほど類想紹介をしてもらえませんが)ハードルは高かろうと思います。
「底には」を削れば因果は薄まります。
その音数分、見えているものを描写して詩を出すことができれば・・?
・水澄みて獣の骨の真珠めく
点数: 4
回答者 イサク
添削した俳句: 水澄むや底には獣らしき骨
こんばんは。
水が澄んだので底が見えた、○○があった、というのは因果もありますし、類想でおそらく多数出てくると思うので(俳句生活は俳ポほど類想紹介をしてもらえませんが)ハードルは高かろうと思います。
「底には」を削れば因果は薄まります。
その音数分、見えているものを描写して詩を出すことができれば・・?
・水澄みて獣の骨の真珠めく
点数: 4
回答者 イサク
添削した俳句: 原発や避難区域の花野はら
こんばんは。
【誰も足を踏み入れない場所】の「花野」というのはよくある考え方で、その場所をいかに鮮やかに描写するか、ということになってくるかと思います。
◆秋の花が咲いているだけでは「花野」ではありません。
「原発や避難区域の」で十二音を使っていますが、この言葉にあまり映像がなく、「花野」を補完できていないように感じます。
「花野」の「野」は「野原」のことなので、原発に秋の花が咲いていても「花野」ではないでしょうしね・・
◆そもそも、「原発」「避難区域」全て説明してしまうと、少し説教臭いかなあ・・・と思ってしまいました。
どんな場所で「花野」を見たのか、あるいは花野の実在について、リアリティ・説得力は欲しいと思います。
リアリティがなく「花野があるはず」だけでは【作者の頭の中にしかない花野】になってしまい、季語としての力が弱くなるかと思います。
たとえば「原発の周囲に花野あるらしく」こんな想像の花野では季語として説得力がないわけで・・
・避難指示解除区域の花野かな
点数: 2
回答者 イサク
添削した俳句: 夕花野あかり灯らぬ生家かな
こんにちは。
「あかり灯らぬ」では、「頭痛が痛くない」「痛みが痛くない」というような二重表現です。
お気持ちはわかりますが「あかりがない」「あかりが点かない」「灯らない」などの表現でいいと思います。
この句では「点かない」「灯らない」が優先でしょうか。
句意としては「誰も住んでいない」なので「あかりがない」がいいかもしれませんね。
風景としては、夕景の花野の中に生家がある、ということでよいでしょうか?
コメントでは想像の句なのですが、「灯らない」と言うと、ずっと見ているような風景になります。
お気持ちで言いたいのは「住んでいる人がいない」なので・・
・灯す人なき生家かな夕花野
こんなところでいかがでしょうか。
点数: 4
回答者 イサク
添削した俳句: 子の髪を見上げて梳かす夏終わり
こんにちは。はじめまして。
お気持ちと感慨ののった良い句だと思います。
季語と一緒に使っている「終わり」が少し説明臭いので、
◆夏の終わり頃の時期だという「夏の句」でしたら、夏の終わりを意味する「夏の果」という季語
◆もう夏は終わってしまった、という感慨でしたら「秋の句」ですので、秋の季語。ちなみに本日9月下旬の時期、季節は「秋」です。
・子の髪を見上げて梳かす夏の果
・子の髪を見上げて梳かす秋の夜
例えばこんな感じです。
あと、前半の「子の髪を見上げて梳かす」の部分。ここも日記のような報告調になっているので、これを俳句という「韻文」にしたいところがあります。
いろいろ方法はありますし、少し難しい話になりますので、ご自身でも調べてみてください。まずはここまで。
点数: 2
回答者 イサク
添削した俳句: パラグライダー足下には大花野
こんばんは。
「パラグライダー」の名詞止めが説明的になっている点と、「には」が気になりました。
私ならば、ですが、上五字余りでどうでしょう。
・パラグライダーのぼる足下の大花野
・パラグライダーふはり足下の大花野
点数: 2
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