俳句添削道場(投句と批評)

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「涼み台くつきり影の富士の山」の批評

回答者 みつかづ

添削した俳句: 涼み台くつきり影の富士の山

初めまして。拙作「増す陽気おむつ卒業パンツの夜」へのコメント、ご感想ありがとうございます。

ご質問への回答です。
まず、単語の意味の共有から参ります(weblio辞書、goo辞書)

季題:
1: 「季語」に同じ。
2:句会などで、題として出される季語。
句会等で出されるテーマの事ですが、発句に組み入れる習わしがある。

季語:俳句で、季節と結びついて、その季節を表すと定められている語。連歌・俳諧では、季詞(きことば)、季の詞(ことば)。四季の詞。季題。
歳時記にも載りその季節に合った言葉。

↓「季題」と「季語」の違い
https://chigai.site/7519/

季語である単語「卒業」の意味につきましては共有済みですので割愛致します。

拙作「増す陽気おむつ卒業パンツの夜」で、での季語「卒業」は「技術の習得などで、ある段階を完了する事」との意味で使われておりますが、その意味での使用だと季節感が無いと思われるというさんのご意見に賛同される方もいらっしゃるのではないかと思います。
しかしこの句の上五には、「増す陽気」というフレーズが使われています。陽気は季語ではありませんが、「万物が動き、または生じようとする気。心がはればれしいこと。ほがらかなこと。気分がうきうきすること。気候。季節」という意味を持っております。
このフレーズで、「卒業」の季節感である「仲春」を補完している構成になっております。

AIのCopilotも、「季語「卒業」は主役として立っています」と回答しております。
↓CopilotのURLです。こちらでご確認いただくのも良いかと思います。
https://copilot.microsoft.com/

ご納得いただけましたでしょうか?

これは私の所感(主観)ですが、竜子さんもこま爺さんも、「「季語の力」を信じ切れていない」様に私には見受けられます。季語の表面や句の表面をなぞるだけではなく、句の背後にある意味や感情にも注意をお払いいただき、深く洞察なさってはいかがでしょうか?

点数: 0

「それぞれのそれぞれちがう春の風」の批評

回答者 みつかづ

添削した俳句: それぞれのそれぞれちがう春の風

めいさんの新作、拝読しました。

私は、御句は「非常に味わい深い名句」と大絶賛しております。
めいさんが読者にお伝えしたい事は自句自解を見るまでも無く「多様性」と、一目で分かります。

季語「春の風」がしっかり主役に立っています。
これがもし「夏の風」、「冬の風」なら、読者の感動は間違いなく薄れますし、「秋の風」では全く違う感動になってしまい、多様性が伝わらなくなります。
他の春の季語も同様で、この句に相応しい季語は「春の風」以外に無く、季語は絶対に動きません。

「春風よ」と詠嘆せずに「春の風」と名詞止めをお使いになったのも、非常に良い判断なさったと思います。これで読者の視点は間違いなく「(春の)風」に留まります。
春の風は時に暖かく、時に冷たいものですし、時には弱く、時には強く吹き付けます。時には雨を伴いますし、晴れている時に吹く事もあります。

「風に何を人(個々)は思いますか?」の違いが中七「それぞれちがう」で読み解けますし、上五の「それぞれの」で「個々それぞれに吹く春の風はどうでありましょうか?」と読み解く事ができます。

「いいね」ボタンを1000回押したい位です。

ただ1点。「ちがう」を敢えて平仮名表記にしてあるのは、「個々の違いを認め合って、優しく接してはみてはどうでしょうか?」との投げ掛けであろうと、「優しさを伝えたいのかな?」と私は読み解きましたが、それでもここはしっかり漢字で「違う」と表記して、多様性をもっと前へ押し出して伝わり易い様にする方が、よりいっそう良くなると私は思いました。細かい点ではありますが、俳句は「17音の有季定型」というきびしい制約がありますので、細かい点がとても大切になってきます。

それでも御句は季語「春の風」の力と季節感、季語の深みを信じて巧みにお使いで、個々人の経験の多様性と重要性を描き切っていらっしゃると、私は思います。

最高以外の評価を付ける理由も、「いいね!」を押さない理由も全く感じられませんでした。

めいさんの次の作品が待ち遠しいです。御句をご発表くださりありがとうございました。心からの賛辞と御礼を申し上げます。

点数: 1

「焼き芋へ並ぶひとりはココシャネル」の批評

回答者 みつかづ

添削した俳句: 焼き芋へ並ぶひとりはココシャネル

感じさん、初めまして。
拙句「増す陽気おむつ卒業パンツの夜」へのご意見、ありがとうございます。

自句自解に「技法:三段切れ」と書き忘れましたので「どなたかが指摘なさるでしょう」と思っておりました。

結論から申し上げます。
「この三段切れは問題が無いパターン」です。狙って三段切れにしております。
以下に問題が無い理由を説明致します。

拙句「増す陽気おむつ卒業パンツの夜」において
・リズム上の三段切れであり、意味上の三段切れではない
・三段切れを用いて、句全体では「子の成長の喜び」という1つのテーマ、情景を書き上げている
・「卒業」の後に接続助詞「し」(又は「して」)が省略されているとも解釈可能である

三段切れをご指摘くださったという事は「三段切れは何故良くないのか?」はご存知の事と思いますが、念の為に書きますと、「読者の感動や焦点が分散してしまう。特に三段切れにでは、焦点が三つになってしまう可能性が高いので良くない」とされています。

しかし、過去の名句にも三段切れの句は存在しております。

例えば、江戸時代の俳人である山口素堂の句「目には青葉山ほととぎす初鰹」は名句と評されておりますが、目には青葉/山ほととぎす/初鰹
三段切れになっていますよね。且つ季語3つの季重なりです。
この句が名句である理由はご存知ですよね。名句である理由は敢えて省略致します。

素堂の句は、「俳句では禁じ手とされる技法を多用しており、俳句の決まりに対して厳格な人であれば絶対に詠む事が無い句」でしょう。

ですが、俳句は「5・7・5の音節構造且つ有季定型」がルールであり、逆に言えばそれ以外のルールはありません。
故に、私もその様に詠んでいるだけなのです。それがどの様に評価されるのかは別問題と言えます。

因みにAIのCopilotに投句前に確認した所、「この三段切れは問題無い」との回答を頂いております。
Copilotのリンクを以下に貼りますので、ご自身でもご確認いただければと思います。
https://copilot.microsoft.com/

ご納得いただけましたでしょうか?
他、ご意見がございましたら以下へお願い致します。
https://weblike-tennsaku.ssl-lolipop.jp/haiku/corrections/view/24615

点数: 1

「身に添ひて爽やかなりし屋根の上」の批評

回答者 みつかづ

添削した俳句: 身に添ひて爽やかなりし屋根の上

拙句「増す陽気おむつ卒業パンツの夜」へのコメント、ありがとうございます。

まず、驚きました。
実は推敲前の句が、ケントさんが仰った「おむつからパンツになりて卒業す」でした。さては、私のExcel句帳を覗きましたね?(もちろん冗談です)

ですが、私は敢えてその形から変えました。理由は以下です。
・「から」、「て」と2つの接続助詞が入り、説明臭い。
・「おむつからパンツになり」の部分は「卒業」の冗長な説明になってしまい、句として洗練されているとは言えなくなる。
・保育園や幼稚園の含みを持たせるなら、季語は「卒業」ではなく「卒園」が適する事になるが、実体験と噛み合っていない(おねしょしなくなったのが小学4年生であった事実との乖離)。
・「「増す陽気」は必ずしも春とは限りません」とあるが、「陽気が増した」と人が一般的に感じる四季は、通常は春であるので問題無い

上記を鑑み、「増す陽気おむつ卒業パンツの夜」を完成句としました。

拙句、特にこの句は評価が分かれる所かなと思います。
評価は皆さんにお任せしたいと思っております。

この句での「おむつ」はいわゆる「おねしょパンツ(夜用の紙パンツ)」の事であり、「昼間は既に布パンツを履けている子供が夜だけおねしょパンツを使っていたが、おねしょしなくなった」事への親子の喜びを表した句です。

参考までに、多くの子供の成長過程では昼間のおもらしより夜間のおねしょの方が一般的には期間が長く、夜尿症のお子さんは5歳で15%、6歳で13%、10歳でも5%程度は居るという医学的統計があります。

それを踏まえて、且つおねしょしていた頃を「その子にとっての冬」と解釈すると、「おむつ卒業(おねしょパンツ卒業)」は「その子にとっての春が来た喜び」という解釈の余地も残し、「この子は小学生かもしれないな」という想像の余地を残す為の「卒業」という季語の選択な訳です。

「兼題:卒業」に、第二のテーマ「おねしょ」をくっ付けた所が難解かもしれないとは思っております。

点数: 1

「手水舎の人感センサ雲の峰」の批評

回答者 みつかづ

添削した俳句: 手水舎の人感センサ雲の峰

げばげばさん、初めまして。
拙句「拙句「増す陽気おむつ卒業パンツの夜」へのコメント、ありがとうございます。

以下、回答です。
1:「おむつの卒業、に対して、パンツと結果を出す必要はあったのでしょうか。あえて結果が必要なケースだったでしょうか。」について

拙句の下五をご覧いただきたいのですが、着地が「パンツの夜」。「パンツの」の後に「夜」が続いています。
作者の意図としては、「この句に登場している子は、昼間は既に布パンツなのだろう」という読みを提供する為の下五の展開であり、「必要な結果」な訳です。

2:「陽気と夜が同居して、時間の軸や経過が気になり読みが止まったこと。夜なのでしょうか。昼に陽気が増したのでしょうか。」について。

これを紐解くキーワードが季語「卒業」にあります。
ご存知の通り、「卒業」は仲春の季語です。「増す陽気」の陽気は1日の時間帯として増す陽気ではなく、「季節として少しずつ増す陽気」との解釈もできます。季語「卒業」でそれを可能にしています。

3:「三段切れの名句はありますが、三段切れではない、(し)を補えばつながる、という、この(し)こそが、因果を生んでる、散文感を生んでるのではないか。」について。

因果は「原因と結果。また、その関係」という意味を持つ単語です。
確かに、「し」を入れれば中七と下五は繋がります。ですが、繋いだ所で因果にはなりません。何故なら、下五の「夜のパンツ」ではなく「パンツの夜」で終わっているからです。季語「卒業」で季節は仲春と分かりますので、「パンツの夜」は「春の夜」です。カメラの動きに例えるなら、最後にズームアップされているのは「夜」になっています。「おむつ卒業」も結果です。
又、「し」を入れると散文的になってしまう為、敢えて三段切れにしてある訳です。
読み解く上で、読者が「し」を補って解釈するか、補わずに解釈するかは、読者の皆さんにお任せしております。

4:「読みの頼りにしたいと思った季語が、季語として詠んでるのか否かで迷いが出ること(結果無季として読んでしまいました、有季として詠んでいたなら読み取れず力不足でした)」について

俳句の基本は「有機定型」ですから、季語が1つ、且つそれが比喩(例:「春の如く」等。この場合、「春」は季語としての力を失っています)になっていないのであれば、少なくとも私の俳句については有季として詠んで頂いて差し支えございません。
他の方がどうかは存じませんが、私が無季の句を詠んだなら「川柳」の所へ投句します。

5:「何より、詠み手にどんな心の波が生じて、読み手にどんな波を起こしたかったのか、が私の鑑賞不足か届かなかった事」について。

これはもう、私は読者の皆さんに委ねています。
私は難解句を詠む傾向がありますので、読者が読み解くのは大変でしょうという思いでおります。AIのCopilotでさえ読み解けない事がある位ですので、読み解けない事はお気になさらず。

げばげばさんの観点は、私は寧ろ重要とさえ受け止めておりますし、論破する気は全くございません。げばげばさんが書き込まれた内容は「疑問の提示」であり、俳句においては疑問を持つ事は当たり前の様にあります。寧ろ疑問から入れない(←考え方として)のであれば、それは率直に申し上げますと、「レベルが低い」という事になります。

これからも、フィードバックをよろしくお願い致します。

点数: 1

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