「手水舎の人感センサ雲の峰」の批評
回答者 みつかづ
げばげばさん、初めまして。
拙句「拙句「増す陽気おむつ卒業パンツの夜」へのコメント、ありがとうございます。
以下、回答です。
1:「おむつの卒業、に対して、パンツと結果を出す必要はあったのでしょうか。あえて結果が必要なケースだったでしょうか。」について
拙句の下五をご覧いただきたいのですが、着地が「パンツの夜」。「パンツの」の後に「夜」が続いています。
作者の意図としては、「この句に登場している子は、昼間は既に布パンツなのだろう」という読みを提供する為の下五の展開であり、「必要な結果」な訳です。
2:「陽気と夜が同居して、時間の軸や経過が気になり読みが止まったこと。夜なのでしょうか。昼に陽気が増したのでしょうか。」について。
これを紐解くキーワードが季語「卒業」にあります。
ご存知の通り、「卒業」は仲春の季語です。「増す陽気」の陽気は1日の時間帯として増す陽気ではなく、「季節として少しずつ増す陽気」との解釈もできます。季語「卒業」でそれを可能にしています。
3:「三段切れの名句はありますが、三段切れではない、(し)を補えばつながる、という、この(し)こそが、因果を生んでる、散文感を生んでるのではないか。」について。
因果は「原因と結果。また、その関係」という意味を持つ単語です。
確かに、「し」を入れれば中七と下五は繋がります。ですが、繋いだ所で因果にはなりません。何故なら、下五の「夜のパンツ」ではなく「パンツの夜」で終わっているからです。季語「卒業」で季節は仲春と分かりますので、「パンツの夜」は「春の夜」です。カメラの動きに例えるなら、最後にズームアップされているのは「夜」になっています。「おむつ卒業」も結果です。
又、「し」を入れると散文的になってしまう為、敢えて三段切れにしてある訳です。
読み解く上で、読者が「し」を補って解釈するか、補わずに解釈するかは、読者の皆さんにお任せしております。
4:「読みの頼りにしたいと思った季語が、季語として詠んでるのか否かで迷いが出ること(結果無季として読んでしまいました、有季として詠んでいたなら読み取れず力不足でした)」について
俳句の基本は「有機定型」ですから、季語が1つ、且つそれが比喩(例:「春の如く」等。この場合、「春」は季語としての力を失っています)になっていないのであれば、少なくとも私の俳句については有季として詠んで頂いて差し支えございません。
他の方がどうかは存じませんが、私が無季の句を詠んだなら「川柳」の所へ投句します。
5:「何より、詠み手にどんな心の波が生じて、読み手にどんな波を起こしたかったのか、が私の鑑賞不足か届かなかった事」について。
これはもう、私は読者の皆さんに委ねています。
私は難解句を詠む傾向がありますので、読者が読み解くのは大変でしょうという思いでおります。AIのCopilotでさえ読み解けない事がある位ですので、読み解けない事はお気になさらず。
げばげばさんの観点は、私は寧ろ重要とさえ受け止めておりますし、論破する気は全くございません。げばげばさんが書き込まれた内容は「疑問の提示」であり、俳句においては疑問を持つ事は当たり前の様にあります。寧ろ疑問から入れない(←考え方として)のであれば、それは率直に申し上げますと、「レベルが低い」という事になります。
これからも、フィードバックをよろしくお願い致します。
点数: 1
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兼題は青空の写真。
最近、大好きな神社参りに行くと、手水舎にひしゃくっておいてないんですよね。そんなある日を映像にしました。