「三切れほど食ぶるパックの西瓜かな」の批評
回答者 げばげば
添削した俳句: 三切れほど食ぶるパックの西瓜かな
こんにちは。ご無沙汰しています。
ご健吟でなによりです。
コメントありがとうございます。提案句も気に入っています。
御句、食べるという自分の行為が報告感を脱け出ずにいます。食べるを省いて、人生の黄昏をほのめかすとか、いかがでしょうか。
日暮るるやパック西瓜を三切れほど
点数: 2
回答者 げばげば
添削した俳句: 三切れほど食ぶるパックの西瓜かな
こんにちは。ご無沙汰しています。
ご健吟でなによりです。
コメントありがとうございます。提案句も気に入っています。
御句、食べるという自分の行為が報告感を脱け出ずにいます。食べるを省いて、人生の黄昏をほのめかすとか、いかがでしょうか。
日暮るるやパック西瓜を三切れほど
点数: 2
回答者 げばげば
添削した俳句: デバッグはいつ終わるのだろう秋思
こんにちは。コメントありがとうございます。
提案うれしいです。そんなことあるかい、上等じゃないですか。事実の報告より、虚の方が真実と思うし、それが俳句の魅力とも思ったり。宇宙のすぐそばにいるような気分とか宇宙を手の中にしている気分だって味わえるのが俳句だし、そんなことは実際には無いからダメと言われるとさびしいですよね。無いことをある!と断定することに詩があると思います。
それは宇宙レベルだけでなく身近でも同じで、
好きな俳人田中裕明のこんな句があります。
この世にたつたひとりの詩人年木積む
好きな句です。詩人はもちろんいっぱいいるわけで、ひとりなわけないじゃないか、と言われたらそれまでだけど、言い切ることに詩があるなあと。
ある詩人が年木を積んでる景にも読めるし、ただ日々を暮らし、歳用意に木を積むという日常の営みこそが、詩を詠むに等しいともとれるし。事実を報告するだけじゃないから、鑑賞や想像に広がっていく。
そんなことあるかい!のことばを恐れたくないと思います٩( ᐛ )و
一方ひとりよがりになって、だれのこころにも実は届かないパターンだってあります。だから、わたしは、なおじいさんの素直にわからないという言葉もいつも頼りにしています。
点数: 2
回答者 げばげば
添削した俳句: デバッグはいつ終わるのだろう秋思
すいません。句のことを書かずに離れていました。
御句。デバッグはpcのこととも人類のバグのことともいかようにもとれていいですね!バグがいつ終わるのか、という思いがすでに愁いなので、季語が近いというか、秋思の中身の説明に感じるのが惜しい気がしました。たとえば人類をほのめかすなら、
デバッグはいつ終はるのか林檎食む
点数: 1
回答者 げばげば
添削した俳句: 君がゐて僕がゐるから天の川
こんにちは。
いつも勉強させていただいています。
よい句ですね。どこかに投句したいほど。
「から」が佳いですね。一瞬の自分たちの存在の連続で悠久の時間というのがあるのだと感じました。今年俳句四季に掲載いただいた句に
宇宙史の隅のわたくし木守柿/げばげば
という句があります。片隅の片隅ですが、存在しているという小さな声をあげていきたいですね!
点数: 2
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