「お返事や雑談ここへ願います」の批評
回答者 げばげば
添削した俳句: お返事や雑談ここへ願います
こんにちは。
みつかづさん、はじめまして。げばげばと申します。
みなさんの議論興味深く拝見しました。この場は論破する場でもなく意見を交わし合う場所なので、私も自分の考えを話してみたくなりました。この道場はみなさんの意見に耳を傾けて、なるほどそういう考えもあるのだなあ、自分はどう考えるだろう、と自省する場なのかもしれませんね、私はそういうこの道場が大好きです。
あくまでげば個人の意見、軽く論破されるかもしれませんが。
さて、御句を拝見しました。卒業が季語であるかどうかという点での議論もとても興味深かったです。季語は季節性が必要とか先人例句の蓄積の本意にかなうべきとか、いろいろな意見があるとも思います。なるほど納得です。
その一方で、これは季語だとよまれるなら季語で、無季ととられるなら無季でもいいじゃないか、と私は思います。
もし読む人が無季と捉えても、読む側の鑑賞に委ねられるので、それでいいよな、とも思います。
無季だろうが、圧倒的に読む者に伝わる何か、それが詩性なり詩情なり俳味なり、そういうものが伝わるならいいじゃないかとも思います。
それって何?と言われると難しいですが、
「読む人の心の平地に波を呼び起こす」もの、というイメージかもしれません。
感動とひとことに言うとあれですが、ざわりと心が動くから俳句を読むのは楽しいと思ったりします。小さな小さな発見や小さな波でいい、そしてそういう俳句を読みたいし詠みたいと思います。
長々と前置き失礼しました。今回は季語であるか否かというより、そういう点で少しひかかりました。事実としておむつがとれてパンツになったことをこえて、読み手にどんな波を起こしたいんだろう、詠み手は何を思ったんだろう。
悩んだ理由はいくつかあります。
1 おむつが取れたので、パンツになる、という因果を感じて詩を消しがちなこと(因果があっても名句はありますね)
おむつの卒業、に対して、パンツと結果を出す必要はあったのでしょうか。あえて結果が必要なケースだったでしょうか。
2 陽気と夜が同居して、時間の軸や経過が気になり読みが止まったこと
夜なのでしょうか。昼に陽気が増したのでしょうか。
3 三段切れの名句はありますが、三段切れではない、(し)を補えばつながる、という、この(し)こそが、因果を生んでる、散文感を生んでるのではないか。
4じゃあ読みの頼りにしたいと思った季語が、季語として詠んでるのか否かで迷いが出ること(結果無季として読んでしまいました、有季として詠んでいたなら読み取れず力不足でした)
5何より、詠み手にどんな心の波が生じて、読み手にどんな波を起こしたかったのか、が私の鑑賞不足か届かなかったこと
読む側の力も必要なので、鑑賞の力が足りないと言われたらそこまでなのですが。伝わるものがあれば、広い意味でおもしろければ何をやってもいいやんと私は思うのですが、4が一番気になる点でした。
いろいろ書きましたが、
わたしの考えなど俳句歴三年未満のぺーぺー、そんな私の私見で話していることなので、何言ってんだコイツとならずに、ああそんな考えもあるのね、と流してもらえたら幸いです。長文失礼いたしました。
点数: 1