「欄干の朱へとこぼれる藤の花」の批評
回答者 なお
添削した俳句: 欄干の朱へとこぼれる藤の花
るるさん、こんにちは。
拙句「入院の爺」へのコメント有難うございました。「ふたりの爺さん」好評で嬉しく思います!
御句拝読しました。俳句の感想もさることながら、私へのコメントの中でご質問がありました。
御句の「こぼれる」は「こぼるる」ではないかとの指摘があったが、文法的に間違っていますか?口語体か文語体の違いか?あと、メンバーの句に、文語体が多いのはなぜですか?というお問いかけです。
こちらにつきまして、わかる範囲で、お答えしますね。
文法的には「こぼれる」で間違っていませんよ。ただ、文語体の「こぼるる」のほうが俳句らしくなるからではないでしょうか。俳句らしくなる、というのは、散文感をなくし韻文のように、説明・報告調にならないように、風情・詩情が感じられるように、古風な侘び寂びが感じられるようにとかありますが、その一つだと思います。
俳句で短い十七音の中で感動や詠嘆、あるいは過去とか推量を表す場合には、古来からの「かな」「や」「けり」などの切れ字は重宝しますよね。
これらは文語体ですから、もし切れ字を使ったときには、全体を文語体で統一したほうがチグハグにならないというのは、るるさんが教わった通りです。これは私もそうしています。
口語体の話し言葉の俳句も面白いですよ!自然でイキイキした印象になりますかね。ここの皆さんもチャレンジしていますよね。
ただ、やはり俳句は江戸時代から、五七五という形を継承して永く伝えられてきた日本古来の文芸ですので、その根っこのような、四季折々の自然の移り変わりや風情を詠んで、合わせて作者の微妙な感情を表したりするには、古来から伝わる
文語体のほうが、味わいが出るように思います。
ですから皆さんも、文語体を取り入れていらっしゃるのだと思いますよ。
最後に、繰り返しになりますが、「こぼれる」が間違いとかいうわけではなく、天満宮の朱塗りの欄干や藤の花という古風な情景をさらに情緒豊かに伝えるには、「こぼるる」と文語体表現のほうが効果的ではないか、というアドバイスと思います。
これでお答えになっていますでしょうか。よろしくお願いします!
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