「泉湧け熱く湯となれ宿となれ」の批評
回答者 卓鐘
添削した俳句: 泉湧け熱く湯となれ宿となれ
「アスファルト・砂利・土・泉・青い空」のコメントありがとうございます。
これはですねぇ、僕には珍しくチャレンジした句なんです。車で泉があるところまで向かい、砂利道を歩き、徐々に土だけの道になり、そこに泉があって、青い空が映っている。そして見上げれば夏の青い空。泉に向かって到達するまでの経緯全てをどうしても詠みたかった。俳句の常識からは外れ、無謀だとわかりつつ、下をずっと向いてて、最後に空を出すことで、意図を伝えられないかと。皆さんの反応見る限り失敗な気はする。
さて、御句に関するコメントですが、はい。泉を見て、ここに温泉があればなぁという妄想句であることは一目理解しました。でも、それは温泉を見ちゃっているので、句の世界観として泉を表現できていない。と。
僕の場合、季語を読み込むとき必ず、季語がどんなものであるかは、ネットで、「該当の季語 俳句」などで検索してみることを必ずします。先の俳人達が、その季語をどのように捉えているか、その本意はどこにあるかを探ろうとして。やはり、俳句は季語および季感を大切にするというのが一つの約束(絶体ではない)なので、季語を使っているにもかからず、季感やその本意を見失った、もしくは軽んじた句にはどうしても指摘が入ってしまいます。
「泉」も泉 俳句で検索してみるとわかると思いますが、単なるちょろちょろとした湧き水というより、ある程度水が溜まってそこからふつふつと水が湧いている景が多いです。(それだけではもちろんない) 神秘的なもの、涼を感じられるものとしての夏の季語です。ちょろちょろした湧き水を詠むなというわけではなく、それを泉という季語として詠みこむのであれば、夏の季語たる清涼感を詠まないと季語としての「泉」の力がなくなってしまうということです。
なので、ちょろちょろした湧き水を詠むのであれば選択肢は二つあると思います。
・そのような泉でも夏の清涼感を詠みきちんと主役にする
・別の季語を主役として、泉を脇役にする(もしくは湧き水という)
私の提案句は後者でした。
で、本句ですが、「泉に清涼感を感じた」そして「温泉が出たらなぁと思った」この二つの思いを入れようとしてますが、流石に俳句の器では無理ゲーですね。
それぞれで一句作るのがいいと思います。
点数: 2