俳句添削道場(投句と批評)

卓鐘さんの添削最新の投稿順の27ページ目

「泉湧け熱く湯となれ宿となれ」の批評

回答者 卓鐘

添削した俳句: 泉湧け熱く湯となれ宿となれ

「アスファルト・砂利・土・泉・青い空」のコメントありがとうございます。
これはですねぇ、僕には珍しくチャレンジした句なんです。車で泉があるところまで向かい、砂利道を歩き、徐々に土だけの道になり、そこに泉があって、青い空が映っている。そして見上げれば夏の青い空。泉に向かって到達するまでの経緯全てをどうしても詠みたかった。俳句の常識からは外れ、無謀だとわかりつつ、下をずっと向いてて、最後に空を出すことで、意図を伝えられないかと。皆さんの反応見る限り失敗な気はする。

さて、御句に関するコメントですが、はい。泉を見て、ここに温泉があればなぁという妄想句であることは一目理解しました。でも、それは温泉を見ちゃっているので、句の世界観として泉を表現できていない。と。
僕の場合、季語を読み込むとき必ず、季語がどんなものであるかは、ネットで、「該当の季語 俳句」などで検索してみることを必ずします。先の俳人達が、その季語をどのように捉えているか、その本意はどこにあるかを探ろうとして。やはり、俳句は季語および季感を大切にするというのが一つの約束(絶体ではない)なので、季語を使っているにもかからず、季感やその本意を見失った、もしくは軽んじた句にはどうしても指摘が入ってしまいます。
「泉」も泉 俳句で検索してみるとわかると思いますが、単なるちょろちょろとした湧き水というより、ある程度水が溜まってそこからふつふつと水が湧いている景が多いです。(それだけではもちろんない) 神秘的なもの、涼を感じられるものとしての夏の季語です。ちょろちょろした湧き水を詠むなというわけではなく、それを泉という季語として詠みこむのであれば、夏の季語たる清涼感を詠まないと季語としての「泉」の力がなくなってしまうということです。
なので、ちょろちょろした湧き水を詠むのであれば選択肢は二つあると思います。
・そのような泉でも夏の清涼感を詠みきちんと主役にする
・別の季語を主役として、泉を脇役にする(もしくは湧き水という)
私の提案句は後者でした。

で、本句ですが、「泉に清涼感を感じた」そして「温泉が出たらなぁと思った」この二つの思いを入れようとしてますが、流石に俳句の器では無理ゲーですね。
それぞれで一句作るのがいいと思います。

点数: 2

炎天下托鉢の僧足早に

回答者 卓鐘

添削した俳句: 炎天を托鉢の僧足早に

黄泉の穴の句コメントありがとうございます。「の」は推敲の余地ありと思いました。ですが、あの句は「猪目洞窟」を詠んだものではありません。少し鑑賞していただければ、久田様の実力ならばわかっていただける内容かと。短く的確なコメントのスタイルは良いと思いますが、せめてもう少し鑑賞の上でコメント頂けますと幸いです。(勘違いは誰にもありますが、にしてもと言ったところです。)

御句、托鉢僧の黒が印象的な良い句だと思いました。鈴(?)の音も聞こえてきそうです。修行といえど、ですね。
切れを入れた方が良いかもしれません。(提案句)

点数: 1

真珠院激流如何に冷たかりけむ

回答者 卓鐘

添削した俳句: 奴の顔浮く泉にや入水する

歴史がお好きなようですね!とても奥が深そうです。俳句で趣味や好きなものを詠むことは多いに結構なことだと思います。ただ「孫俳句」なる言葉あるように、思い入れが強いものについて詠むと独りよがりになりがちです。(そうでなくても僕もそういうことは多々ある)10人が10人句意を理解する必要はないと思いますが、10人中7,8人くらいは理解できるもしくは調べるヒント(できれば調べたくなる工夫)が欲しいものです。

この句ですが、「恨みのある奴の首が浮かんでいる泉に入りました」というなんともホラーな句になっています。なんとか、水面を見ながら恨みのある奴の顔を浮かべて泉に入ったくらいまでは読もうと思えば読めますが、入水はあくまで入水なので、自殺まではイメージが難しい。。奴と言っちゃうと女性より男性のイメージが出てるのも気になります。

さて、もう少し意味が伝わるように提案句をあげたいのですが、2つ方向があると思います。
・八重姫であることを連想してもらう(わからない人には調べもらう)方向
・八重姫から触発された句なので、そこはわからなくてはよく、そういう不遇の女性
の最後のイメージを出したいという方向
(掲句はどちらの方向がぶれている気がします。)

ここは、前者を持って提案句としたいと思います。

点数: 0

月の夜に潜れば孕むてふ泉

回答者 卓鐘

添削した俳句: 月の夜に泉潜れば孕むてふ

コメントでよくわからなくなりました。少し覗いてみたい??

月の夜に泉に潜ったら、子を授かると言われている。って句意であってますよね?そう言われている夜に泉を見てみたいってことでしょうか?

古語の認識が間違っていたらすみませんが、「てふ」(〜という・・・)を文末に使って、「という。」とする用法を見たことがありません。調べても見当たりません。このような用法があるのでしょうか?
僕の認識は、AてふB (Aという(言われている)B)という使い方しかしらなったもので。

認識があっている前提と、言いたいことは、そういう伝説のある泉があるよ。ってことなんじゃないか?という仮説のもと提案句。

点数: 2

宿怨の浮かぶ泉や吾子の世へ

回答者 卓鐘

添削した俳句: 奴の顔浮く泉にや入水する

八重姫から触発された句なので、そこはわからなくてはよく、そういう不遇の女性
の最後のイメージを出したいという方向での提案句

点数: 0

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