「睡蓮や朝はみづより生まれ来る」の批評
添削した俳句: 睡蓮や朝はみづより生まれ来る
こんにちは。
特選二席おめでとうございます(今朝録画を見ました)。
選者もゲストも「巧者」「こうは詠めない」と絶賛。
季語の物自体がいなくなった後の、もはや何もない「場」自体を描写する句は凄いですね。
この睡蓮の句にも通じるところがあるかと思います。
(「生まれ来る」と措かれた「朝」は、まだ睡蓮の咲いていない時間だったり)
よろしくお願いします。
点数: 2
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添削した俳句: 睡蓮や朝はみづより生まれ来る
こんにちは。
特選二席おめでとうございます(今朝録画を見ました)。
選者もゲストも「巧者」「こうは詠めない」と絶賛。
季語の物自体がいなくなった後の、もはや何もない「場」自体を描写する句は凄いですね。
この睡蓮の句にも通じるところがあるかと思います。
(「生まれ来る」と措かれた「朝」は、まだ睡蓮の咲いていない時間だったり)
よろしくお願いします。
点数: 2
添削した俳句: 顎髭とジャケット爽う日傘かな
こんにちは。
「顎髭とブルゾン爽う日傘かな」句の意味がよく解らず、「爽う」はさっぱり解らず(五七五の音数からすると3音らしいと推測するものの…)。
「爽う」を検索すれば、「たがう」と読み、「まちがえる」という意味だそうで。引っかかったWebサイトによれば「漢検1級レベル」とか。語彙が分かったところで、句意は解らないまま。
あごひげとブルゾンとを間違える日傘であるよ…?
…と、見ていたら、下にこの投稿があり、「爽やか」の意味で使いたいらしい…とすると、「爽う」は結局どう読ませるつもりだったのか解らなくなる…。
もう一点。「顎髭とブルゾン」という語から“さわやか”という印象を導くのはなかなか難しいのでは?(どっちかというと、両者とも暑苦しい物のような…) 季語「日傘」がその印象に至る補助になっているとも思えず。
以下、添削とは言えませんが、「あごひげ」を夏の清涼感と繋げることを試みる句として、
顎髭の男ひとりの橋涼み
涼しさや鬚ととのへしバーテンダー
よろしくお願いします。
点数: 3
添削した俳句: 麦わらの帽子の君の影を踏む
初めまして。
句の半分以上が、あいみょんの「マリーゴールド」のサビ。
これを“本歌取り”として見ようと思えば、元歌に対するリスペクトだったり、元歌でない部分の独自性やインパクトだったり、といった点を気にするのですが、この句は…。
「影を踏む」は晴天の下にいる二人の距離感みたいなものを言い表そうとすると、割とすぐに思いつくものと思われます(私も以前、その動作を詠んだ句で雑詠に投句し…見事にボツでした)。
元歌との関連については、リスペクト云々は私には余り感じられず。元歌において、二人の距離感といったものは別の表現が既に十分にされていて、ここに「影を踏む」を足した句を出してきても、これを“本歌取り”だとすると「元歌に対してどういうスタンスなのかよく解らない」と感じます。
ゆきおさんは、この句の実作者ではなく“投稿の代行”のようなので、厳しい言葉はあまり意味が無いかもしれませんが…。
よろしくお願いします。
点数: 0
添削した俳句: 夏浅し醤油滴るバランかな
こんにちは。
竜子さんの指摘するところに近いと思うのですが、下五「かな」の使い方が気になりました。「醤油滴るバラン」というものがはたして「かな」で詠嘆するほどのものかどうか。
夏浅し醤油に濡れてゐるバラン
夏浅しバラン醤油に滴るる
…くらいでいかがでしょう。
よろしくお願いいたします。
点数: 2
添削した俳句: 青空や雪渓輝く谷のあり
こんにちは。
・「雪渓」のあとに「谷」は要らないでしょう。
・「青空や」と詠嘆する割に、視点は空に向いていない感じがします。
なるべく語を足さないように語順を入れ替えてみて、
雪渓の輝かしたる空は青
よろしくお願いいたします。
点数: 1