「処暑の空風肩かすめ雲流れ」の批評
あちらでFFになっておりますが、こちらでははじめまして、ですね。よろしくお願いします。
(ニシキゴイはAndroidユーザーには縁がないのが残念)
御句、正直なところかなり取っ散らかって見えます。
というのも、上五「処暑の空」で空に視線があるところから、中七「風肩かすめ」で突然自分に視線が来ます。その後に下五「雲流れ」で再び空に視線が行きます。視線誘導が行ったり来たりでおかしなことになっているのがひとつ。
それから、言葉では切れてませんが、意味の上で「五・七・五」でそれぞれ別々のことを言っているかのように見えます。意味の三段切れのような。
こちらに投句している他の句の多くも、「季語
」+「○○して△△する」と三つのことを入れようとする句が多いように見受けますので、癖になっているんですかね?
十七音にいろいろと詰め込むのではなく、ご自身でどんな風景を出したいかを絞り込み、季語+別要素ひとつ、ぐらいの要素の量にした方がいいと思います。
そして音数の残りの部分を、「季語の描写」あるいは「別要素の描写」に使った方がいいかと。
たとえば「処暑の空」+「雲」という風景にするならば、「肩」とか言って自分を出している場合ではないですね。「風」という単語は空や雲を描写するのに使った方がいいと思います。
・風吹けば雲ゆうゆうと処暑の空
あるいは「処暑の空」+「自分のまわりに吹く風」でもありです。この場合は「雲」を出してしまうと焦点がぼやけてしまいそうですので、「処暑の空」+「風」の二物の句にした方がよいと思います。(ちなみに俳句
の一物と二物、というのはわかりますでしょうか?)
・わが肩をかすめる風よ処暑の空
こんな感じでいかがでしょう?