「曲水や運ばるる酒にはればれと」の批評
回答者 みつかづ
添削した俳句: 曲水や運ばるる酒にはればれと
ゆとりろさん、こんばんは。貴句、拝読いたしました。
結論から申し上げますね。これは季語を繰り返し説明しているだけで、
季語以外には何も書いていないに等しいですね。
何故なら、晩春・行事の季語「曲水」は、庭園の水の流れに乗って、
お酒が注がれた盃が運ばれてくる行事なんですよ。
そして禊の宴ですので、曲水に行ってその場ではればれしてない人って居ないのが
前提なんですよね。それらの情報が、そのまま季語とカブッてるだけなんですよ。
つまり、誰がどう見ても白米なのに、上から「これは白米です!」と
何枚もラベル貼ってるのと同じ事なんですよね。
この句。気まぐれ亭いるかさんの句に憧れてお詠みですよね。
でも、このお題って『俳句ポスト365』の上級なんです。
そして、行事の分類の季語は、詠むの難しいんですよ。何故なら季語に
内包されている情報量が多く、未経験だと不利な面がありますので。
失礼を承知で心を鬼にして書きますけども、
易しめの時候、天文、動物、植物の季語でもしっかり詠めてないのに
行事の季語に挑んでも、破綻させずに詠める訳が無いんですよね。
季語に内包されている多い情報量とカブらない様にさせるのが難しいので。
道路の舗装で例えると基層、中間層、表層で俳句もできてますが、
基層がしっかりしてない表層の道路を大型車が走ってる様なもので、
俳句という道路が陥没して、読者が穴に落ちて大ケガしちゃうんですよ。
基層は俳句の型、日本語の11品詞と文法、季語の分類などの基礎的な知識。
中間層は、句面から、矛盾せずに導き出せる句景。
表層は句面。
作者に「実際に見てみたいです」とお書きなのに、何故「小川から小さな舟に
乗って運ばれてくる盃を干す、そのときの心地」が「詠める」んですかね?
経験してもないのに、心地なんてどうやって分かるんですか?って事なんですよ。
以前に、「詠む」という単語の意味はお教えした筈です。
この句は、「俳句を詠んだ」とは言わないんですよ。何故なら感動の核、
つまり詩が何も無いんだから。心にも無い事を句面に起こせる訳が無いんですよ。
私めの句は、曲水の元が「禊」だと知って、「えっ? そうだったんだ!」という
感動があったんで詠めたんですよ、あの句面で季語「曲水」を。
気まぐれ亭いるかさんも、上級者とは思えない程の迎合ぶり。
これではどちらも上達しませんよ。
素直な感動の景を、感動の気持の真実を季語にぶつけて、素直に詠みましょうよ。
最初から詩情を付けようとカッコつけなくても、詩情は勝手に付いてきますから。
飾れば飾る程、逆にスカスカな空虚になるのが俳句という短詩の特徴なんですよ。
以上でございます。お目通しいただき、感謝いたします。
点数: 1
