俳句添削道場(投句と批評)

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摘心の末の西瓜のサイズかな

回答者 イサク

添削した俳句: 摘心を生き永らへし西瓜かな

こんばんは。

久々の一物ですか?
(ペガサスや秋の池の句は一物寄りと言えなくはないです・・・)

上五中七が発見・観察というよりは理屈・説明に寄ってしまっています。
私の意見は74様コメントと感覚的には近い気がします。西瓜は「摘心を生き永らえた」のではなく「摘果されずに残った」感じ。それでも説明ですけれども。
西瓜の苗自体はきっと「摘心された」のが正しいと思いますので、どう表現するのが正しいですかね・・・?

・摘心の末の太りし西瓜の実

点数: 2

「かなかなのかなかな微かソリチュード」の批評

回答者 げばげば

添削した俳句: かなかなのかなかな微かソリチュード

こんにちは。
再登場失礼します!!

早速摘心の句コメントありがとうございます。
そうなんです。課題は3つ。
1つ目は、目の前にあるのは、西瓜だけであり、上五中七はその説明じゃないの?ってこと。
2つ目は、上五中七はトマトでもなんでも、摘心をする実なら通用するやんということ。
3つ目は、上五中七からの現在で捉えると、時間の経過が長すぎるくせに、目の前には西瓜しかないということ。

そうなんです、投句しておいて、課題満載だなあと、ボツされゆく前の句でした。

摘心から淘汰されてくぐりぬけて今この西瓜がいるって感じを詠みたいと思っているのに、うまく方法がみつからない。そもそも、それを詠もうとしたら、「摘心を潜り抜けたから瑞々しい」という因果関係を詠むようで説明っぽくもなってしまいそうだし。といろいろ悩んだ挙句、ボツにせず投句してしまった流れです。そもそもこのテーマで詠むこと自体がボツなのかなあと思ったりしながら、解決方法はあるのかなと思ったりして・・・。

74さん、いろいろ一緒に悩んでくださってありがとうございます!
自分で解決したいと頭ひねくりながら、こうやって課題を自分で見つけながらも、みなさんの意見をも聞きたいと思ったりもしています、74さんの東北俳句のように、自分なりに反省課題を持って。<(_ _)>そもそもテーマがあかんって可能性もありですが、いかがなものでしょうか(*'▽')

点数: 1

「摘心を生き永らへし西瓜かな」の批評

回答者 74

添削した俳句: 摘心を生き永らへし西瓜かな

こんばんは。いつもお世話になっています。

御句拝読しました。
摘果した小さな実は漬物にしたりするそうですね。1株につき4本のつるを残し、2本のつるにつき1つの果実を育てる…と調べた感じではなっていますので、摘芯というよりは摘果が最適な言葉でしょうか?
「生き永らへし」の措辞がどうなるんでしょうか?私だったら「幾度躱し」なんてするかもしれません。
摘芯する果実全般に使えそうな上五中七になってる気がしてきました。西瓜のどっしり感を増したい所ですが、どうしましょう…「西瓜かな」を採用するとなると中七を西瓜の栽培の特徴に合わせて変えたいところですが上手いこと思いつきませんorz
摘果越え水蓄えたる西瓜かな
苦し紛れを置いてみます。

点数: 1

「西瓜提げ夫揚々帰宅せり」の批評

回答者 74

添削した俳句: 西瓜提げ夫揚々帰宅せり

こんばんは。俳句作りはこのように交流しながらだと楽しく勉強になりつつのめり込んでいく趣味になりますよね。気張らずゆるりと続けてくださると嬉しいです。
拙句への好評ありがとうございます。旅の思い出を俳句にするのはあれこれ思い出すのと言葉調べ地名調べなどの作業がなかなかに楽しかったです。見た光景を伝わるように考えるのもまた楽しかったですよ。
私もまだまだ勉強中の身ですのではやさんからのご指摘もお待ちしております。

御句拝読しました。
誕生日の定番が西瓜というのも、それをご夫君が意気揚々と買って帰ってくる光景も素敵ですね。
誕生日ということをつい入れたくなるのを削ったのですね。見習わなくてはならないです。ついついやりがちなので…
夫でつまというのは知らなかったので勉強になります。それにしても揚々と帰宅されるご夫君の様子を描写するとなるとなんだか可愛らしい日常の光景に見えてきますね。
技術的な視点はイサクさんと長谷機械児さんがされていますね。私はどうしてもお祝い事の西瓜としたいなぁという提案を起きますね。
揚々と祝い西瓜を抱え夫
全くもって上手く作句できませんし、誕生日の定番ということははやさんがご自身で読み返したときにはご夫君が意気揚々と西瓜を買って帰ってくる様だけで分かることなんですよね。いやぁ、誕生日の定番いいですねぇ…こういうのはなおじいさんの提案を見たくなりますね。

点数: 2

「白日傘閉づや世界を染めながら」の批評

回答者 長谷機械児

添削した俳句: 白日傘閉づや世界を染めながら

イサクさん、「猫じゃらし」句の添削ありがとうございます。

「よくあるアプローチなんですかね・・・?」について、
人間の描写に植物の季語を取り合わせる形の句を作る前段階として、植物から“性格”を導き出すということは普通にしていると思うのです。

 ○○○○な女や×××の花
 ○○○○してをり×××の花

といった句を作るとして、「×××の花」が実景(「○○○○な女」「○○○○している人」と居合わせたときに偶々咲いていた花)ということは無いだろうと思うのです。どんな花ならどういう性格・振る舞いの描写に合うか検討するのに、植物の“性格”を導き出すアプローチはあったろうと思います。

そして、このアプローチだけを突き詰めると、「性格が八百屋お七」の句(京極杞陽)になったりするのではないか、と、これは私の勝手な想像ですが。

御句について。
白日傘というものは、浜辺に立てる大きなパラソルみたいなものなのでしょうか? 天に向かって直立した状態のまま閉じるという動作を普通の日傘ではしない(傘というものは、自分の手前に倒してから閉じます)ので、いろいろな方の推理(自分の視界がいくらかひらけて青空が見えるようになったり、傘の下にあった影が消えていったり)は、多分どれも違うように思いますが。

それで、正解が何なのか、と問われても、それは私も解らないのですが。

それでは、今後ともよろしくお願いします。

点数: 0

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