「白日傘閉づや世界を染めながら」の批評
回答者 長谷機械児
イサクさん、「猫じゃらし」句の添削ありがとうございます。
「よくあるアプローチなんですかね・・・?」について、
人間の描写に植物の季語を取り合わせる形の句を作る前段階として、植物から“性格”を導き出すということは普通にしていると思うのです。
○○○○な女や×××の花
○○○○してをり×××の花
といった句を作るとして、「×××の花」が実景(「○○○○な女」「○○○○している人」と居合わせたときに偶々咲いていた花)ということは無いだろうと思うのです。どんな花ならどういう性格・振る舞いの描写に合うか検討するのに、植物の“性格”を導き出すアプローチはあったろうと思います。
そして、このアプローチだけを突き詰めると、「性格が八百屋お七」の句(京極杞陽)になったりするのではないか、と、これは私の勝手な想像ですが。
御句について。
白日傘というものは、浜辺に立てる大きなパラソルみたいなものなのでしょうか? 天に向かって直立した状態のまま閉じるという動作を普通の日傘ではしない(傘というものは、自分の手前に倒してから閉じます)ので、いろいろな方の推理(自分の視界がいくらかひらけて青空が見えるようになったり、傘の下にあった影が消えていったり)は、多分どれも違うように思いますが。
それで、正解が何なのか、と問われても、それは私も解らないのですが。
それでは、今後ともよろしくお願いします。
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どこまで理解してもらえるのか