「夏風に北斎の波健在なり」の批評
回答者 ハオニー
はじめまして
俳句界の維新の風になりたきハオニーです
コメントに悩むのですが、この俳句だけを読んでもきっと伝わりません
これでは、北斎さんの絵の波が健在だという「絵に描いた波が動いてたまるか」という解釈や、北斎さんが起こした波が健在なのかと「どんな波だよ」という解釈が生まれます
すると、この波が「時代の波」「維新の風」のような比喩的なものを想像させてしまいます
これでは、読み手に伝わるものは、意図したものから相当離れた一句になってしまいます
葛飾北斎を題材にすると、絵がどうだとか語りたくなるのです
しかし、それを語った瞬間に俳句が崩壊します
簡単に言うと自滅です
私も挑戦したことはありますが、自滅覚悟でやらないと自分のつくった俳句を次々と捨てることになります
私ならこういう感じにします
北斎の波を越えゆけ初夏の風
重層的な解釈のできる句、それが私の強みです
自分自身の強みを理解して、いい作品をつくって自分自身の受けた感動を読み手に受け取ってもらえるよう努力するのが、いい俳人なのです
少なくとも、私はそこを目指していきます
点数: 2
添削のお礼として、ハオニーさんの俳句の感想を書いてください >>
初夏、超高速カメラで撮った波は、全く北斎の波と同じだ、と言う波を、私は、幾つも発見しました。時を越えての出来事に、自然の不変の姿に、感動しました。