「蝶拾つたうごかなかつた吾子の秋」の批評
回答者 鈴蘭
こんにちは。こちら拝読しました。自分の勉強がてらコメントさせていただきます。
お子様にとっての秋を表現するため、お子様らしく表現してみたとのこと、非常に興味深く思いました。ただ、それをやると必然的に主観句になるので、俳句としては二重苦になります。私もいろいろやってみましたが、無季句が限界でした。お子様がこれを「秋」と認識していないと季感が出ないんですねぇ…。
おとうさんなんでちょうちょはうごかないの
さて客観写生に立ち返るとだいぶ楽になります。
吾子の掌に蝶のむくろや残暑光(骸の軽さ、残暑の重さ)
蝶の死を見つむる吾子や秋の晴(死の暗さ、晴天の明るさ)
自分には特に3句切れには見えませんでしたが、切れの位置が若干わかりづらいかもという印象はありますね。読み込めばわかりますが、ぱっと見では…くらいの。
点数: 1
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句歴1年になりました!
なかなか佳い句は読めませんが、いつも楽しく学ばせていただいています。引き続きよろしくお願いします。
本句は公園で虫を探していたら、死んだ蝶を見つけた娘を詠みました。
迷った点
・上五字余り、三段切れになっています。気になるでしょうか。(「拾ひたる蝶の動かず吾子の秋」などで解消した方がいいか…)
・季語は「秋」のつもりです。命を失った蝶は季語にならないと判断しましたが…どうでしょうか。
・見つけた後どうしたかを描写すべきか迷いましたが、読者に託そうと思いました。(実際には土を掘って埋葬していました)
・「吾子の秋」としたのは、「私(大人)とは違う、娘(子ども)が体験した秋」を表現したかったです。
1匹の蝶が死んでいる、大人にとっては珍しくもない体験ですが、子どもにとっては大きな出来事だっただろうな…という感覚です。伝わるでしょうか。
その他なんでも、ご意見いただければ幸いです。