「茶畑や緑のうなり感じさせ」の批評
添削した俳句: 茶畑や緑のうなり感じさせ
こちらも拝見しました。うなりという着眼点がとても新鮮だと思います。
「茶畑の緑のうなり」で上五中七ができそうですね。下五に何を持ってくるかでまた発展すると思います。それか、冒険的ですが一物仕立てで「茶畑の唸りを上ぐる緑かな」とか。
点数: 1
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添削した俳句: 茶畑や緑のうなり感じさせ
こちらも拝見しました。うなりという着眼点がとても新鮮だと思います。
「茶畑の緑のうなり」で上五中七ができそうですね。下五に何を持ってくるかでまた発展すると思います。それか、冒険的ですが一物仕立てで「茶畑の唸りを上ぐる緑かな」とか。
点数: 1
添削した俳句: 友の齟齬風よ薫れよ夜の道
俳句は字数があまりにも少ないので、イメージや心象風景を詠むのには残念ながら向いていません。
「風よ薫れよ夜の道」ということは、主観的には風が薫っていなかったのですね。であればその表現は避けた方がよいです。「友の齟齬」もコロケーションがややおかしく、友達が何と噛み合わなかったのか(?)わかりません。
そういう気持ちを抱いて過ごしたからこそ、普段は目につかないものが目につくわけで、そこを切り取ると良いです。夜である必要性があるかどうかも一考の余地があります。
諍ひのあと公園の蟻独歩
親友と食ひ違ひたり熱帯夜
点数: 1
添削した俳句: 滝壺や何故誘う身投げへと
どうかお大事に!!
句はやりたいことがだいぶ見えてきましたね。文芸は心を丸出しにしてなんぼとよく言います(その分、怪我を負うこともありますが…)
さて、今回の句は「滝壺」と「身投げ」の取り合わせですが、こうして並べるとちょっとそのまんま感のある連想ですね。もう一歩捻ってみると面白い句になりそうです。「何故誘う」は言わずとも読者に感じさせたいですね。
滝壺や明るき泡の底知れず
咳をしてゐる滝壺にのまれたし
滝壺に水また水の投身す
展開のご参考までに…。
点数: 1
添削した俳句: 主無きこの心には滝壺を
こんにちは、御句拝見しました。
意欲的に作句されていて良いなぁと思いました。ただ、伝わるように書くというのは案外難しいもので、残念ながら意図された内容のようには見えません。
「主のいない心」は現状だと「仕える主君がいない」または「いるべき主人がいない」という意味にしかなりません。心の主人とは何なのか。それをどういう意味で読みとけばよいのか。
「心には滝壺を」とはどういう意味ことか? 俳句に登場する名詞は、普通は具体的なもの、この場合は「実際の滝壺」を表すことになります。滝壺をどうするのか、そもそも滝壺は人がどうこうできるものなのか。
それらがどうやって愛して欲しい思春期の心に繋がるのか?
そもそも、それは本当に「愛して欲しい思春期の心」なのか?
ご自身の思いを「愛して欲しい思春期の心」というあるあるのフレーズで片付けるのはもったいないことで、自分が何を見て何を感じたのか、もう一歩内観を深めるとよいのかなと思いました。
もし、俳句にご興味があるなら、俳句の入門書を購入されると基本的なアドバイスが丸っと載っているのでお勧めです。駅前の本屋さんがもしあれば、ナンプレとかが置いてあるコーナーによく並んでいます。どの本でも大丈夫です。
点数: 2
添削した俳句: 梅雨晴やぱかんと開けたジュース缶
こんばんは、コメントありがとうございました。
「滝涼し」は手元の歳時記でひとつの季語
だったのですが、とはいえ「涼し」の必要性は問われるかもしれませんね…。また、「飛鳥時代の」が説明的だった気もしてきました。
ご提案句ありがとうございました。参考にさせていただきます。
点数: 1