俳句添削道場(投句と批評)

みつかづさんの添削最新の投稿順の131ページ目

「詩は星にかわりて喇叭水仙葬」の批評

回答者 みつかづ

添削した俳句: 詩は星にかわりて喇叭水仙葬

 
気まぐれ亭いるかさん、貴句、拝読いたしました。
結論から申しげますと、「詩で負けた訳ではない。立ち上がる景の差」。

先ず、にゃんさん作「喇叭水仙ひかりを採譜するように」の天選の句についての
私なりの鑑賞文です。
季語「喇叭水仙」。花被片の部分は大体が黄色か白色。
採譜は私めも成人する前後にしておりまして、
「聞いた音楽を楽譜に落とし込む事」を意味する名詞です。いわゆる耳コピ。
ラッパの類では楽器の色は、トランペット、コルネット、ユーフォニウムは銀、
トロンボーン、ホルン、チューバは金なんですよね、大体。
そして、光そのものは採譜できませんが、それらの金管楽器が鳴らした音の長さや
強弱は順に採譜可能で、それらを「ひかり」と形容した可能性があり、
喇叭水仙の開き方の見た目が、トランペットやトロンボーンのベルの部分
(=楽器の先端の開いて音が出る部分)を思わせるんですよね。音も想像させる。
採譜は手書きの場合は大体は鉛筆か黒ボールペンを使いますし、
パソコンソフトで採譜するにしても、音符って黒いんですよ。楽譜は白ですし。
3つ以上の色の対比と、音の有無の対比。
金管楽器の音色がブラスバンド、オーケストラ会場の照明の光のようとの
例えの包含。それが17音にパッキングされているという事になるんですよね。

つまり、「句面には一切書かれていないのに、矛盾無く景がここまで立ち上がる」。

それが前提で、改めて貴句を拝読いたしますと、句面では季語が喇叭水仙ですので、
花言葉の「尊敬」、「報われぬ恋」から「恋人との死別かな?」までは何とか
辿り着けますが、「星にかわりて」の措辞に手垢が付いてますし、
もし「物換星移」の意味(物事が変わり、時代が移り変わる事)だとしますと、
「葬とは故、安倍元総理大臣の葬儀の事?」と、読解の読みが
混乱しちゃんうんですよね。先程の花言葉の「尊敬」が来てしまいますので。

そして、「詩」も何の事なのかが分かりにくいですよね。
詩とは「自然や人事などから受ける感興・感動を、リズムを持つ言語形式で
表現したもの」を表す名詞ですので、「詩は星にかわりて」の措辞ですと、
「星の事を書こうとした作詞家が亡くなった春の事?」との読解も可能で、
作者コメントにお書きの「彼は死は詩となって星へと変わっていったのだ
そんな彼の好きだった喇叭水仙の花を別れ花として捧げよう
その花は天使の吹く喇叭であり彼が変わっていく星でもあるのだ」に、
「彼とは誰の事なの?」との謎が残ったまま読者側で
収束させるのが難しいんですよね。

作者コメント無しでも、「こういう収束ですよ。真実は作者の悲しみですよ」と
読者に分かる様な句面でないと、矛盾無く立ち上がる誤読の景の危険性が
消えないままなんですよね。

今回は添削案も作句案も私めからは提示いたしませんが、
天の句は「類想に見えて、実はそうなっていない」所まで行けるジャンプ力が
あります。そこからヒントが得られると私めは思います。
喇叭水仙から合奏などの金管楽器を思わせる事は誰でも考えますので、
類想を突き破るだけの独創性を加えるか、全く違う角度から攻めるか、ですよね。

以上でございます。お目通しいただき、感謝いたします。
 

点数: 0

「店先の春セーターが今日は無い」の批評

回答者 みつかづ

添削した俳句: 店先の春セーターが今日は無い

 
慈雨さん、こんにちは。貴句、拝読いたしました。

「いつもは在るのに、人気商品なので今日は売り切れて無い」のか、それとも
「季節が変わって暖かくなったので、店が販売を止めた結果として無い」のか。
後者か二重含意なら季節感は出ていますし、散文的に見えなくは無いですが、
それでも詩にはなっているので直す必要は無いとは私めは思います。

11日後はもう4月ですので、「店先の春セーターが今日は無い」事より、
「それ位に春が深まったのか」との読解は可能ですから、広域的な「季節の遷移」。
「無い」という一言にパッキングされていて、「つい先日までそこに在った
柔らかな春セーターの色」が、残像として鮮やかに立ち上がる、と。

これも「作者の1つの発見」ですので、立派な短詩でしょう。
「在る」事を描くよりも「無い」事を描く方が、過ぎ去った季節への惜別の情や、
新しい季節への予感がより強く伝わるのではないかと、私めは思いました。

このまま味わいたいと、私めは思います。

以上でございます。お目通しいただき、感謝いたします。
 

点数: 0

「愛犬に誘われ探す土筆かな」の批評

回答者 みつかづ

添削した俳句: 愛犬に誘われ探す土筆かな

 
白梅さん、こんにちは。
拙句「春雨や買い物袋に春雨」にコメント、ありがとうございます。
https://weblike-tennsaku.ssl-lolipop.jp/haiku/corrections/view/34211

作者コメントに書き忘れておりました。
2回目の春雨は、「季語の繰り返し」との解釈もOKです。と申しますの手は、
「春の雨が止んだ後、買い物に行ったらまた降り出して、
買い物袋が春の雨に濡れている」との解釈も句面と矛盾が無いので、それはもう、
読者にお任せしております。食べ物の春雨との解釈も勿論成立しておりますし。

さて貴句、拝読いたしました。

元句のままでは「生きている飼い犬である」と読解される危険性が高いので、
ハッキリ「死後ですよ」とお書きになるか、それが読者に伝わる過去形を用いるか。

作者コメントにお書きの「飼い犬が死んでもう何年が過ぎたのだろう」。
これを何等かの形でお入れになりますと、句が輝きを増しそうですね。
「探す」の主語は作者ですので、これは特に問題にはならないでしょう。

私めからの添削案は、「愛犬は既に世を去っている」事を明確にする案です。
中七下五を跨ぎます。

A:愛犬の死後も見付け出す土筆よ
B:愛犬の死後も探し当てる土筆

犬は嗅覚に優れていますので、「愛犬とはお別れになって、前よりは土筆を探すの
大変になったけど(?)、私は元気に土筆を見付け出したり、
探し当てておりますよ」と。
また、詠嘆を「よ」に変える事で、今は亡き愛犬への呼び掛けへのニュアンスも
出てくるのではないでしょうか。

以上でございます。お目通しいただき、感謝いたします。
 

点数: 1

「来し方の山野しづかに春の雨」の批評

回答者 みつかづ

添削した俳句: 来し方の山野しづかに春の雨

 
明智明秀さん、こんにちは。貴句、拝読いたしました。

作者コメントの「ゴルフ時、風よりも雨の方がマシ。句とは関係ありません」を
考慮しても、二重含意なら元句のままが良いですが、そうでなければ
古語の名詞「方」(かた)には以下の意味も有ります。
・(人を敬って)お人。おかた。
・組。仲間。
「ほう」と読む場合も大体は同じです。

作者コメントは、「しづかに降る春の雨は心地よい。私は強い風が苦手」。
一人称になっています。
もし二重含意ではないならば、「方」はお書きにならない方が安全策ではあります。
俳句は作者視点が前提ではあるものの、「他の方(会社のお偉いさん等)が
行った山野か、仲間と一緒に行った山野の事なのか?」と読まれてしまうと
句としては損してしまいますので。ゴルフかどうかは関係無く。

私めからの添削提案は、例えば以下。「方」を外してしまいます。

・来し山野静かなる此の春の雨

「此の」で、「他でもない静かなこの春の雨である」と、詠嘆せずに強調します。
これなら「他の方が行った」、「仲間と一緒に行った」とは誰も思いません。
何故なら「方」が無いので。

繰り返しますが、二重含意であれば元句のままが良いと、私めは思います。

以上でございます。お目通しいただき、感謝いたします。
 

点数: 1

「滔々と千曲は流れ風光る」の批評

回答者 みつかづ

添削した俳句: 滔々と千曲は流れ風光る

 
凡さん、こんばんは。貴句、拝読いたしました。
千曲川の流れと季語「風光る」の取り合わせで、水面もキラキラしていそうですね。

ただ、助詞の選択が惜しいな、と。
理由は、「滔々と」(形容動詞「滔々たり」の補助活用連用形。
現代語なら助詞「と」)+「は」なので、「流れ」が名詞ではなく動詞「流れる」
(古語なら「流る」)の連用形に見えてしまい、名詞「滔々」
(水が留まる事無く流れるさま)の説明になってしまうからです。
「流れ」を名詞にしてしまえば、説明にはならなくなります。

追記しますと、名詞「滔々」の語源を遡りますと元は中国発祥で、「滔」の漢字は
「水」偏に「舀(ヨウ)」で構成され、「舀」は「臼で水を汲む」様子を
表しています。これが転じて「水が大きく広がり流れる」意味を持ち、それを
重ねた「滔々」という表現が日本で生まれました。
『万葉集』や『古今和歌集』などの古典文学で、
水の流れや時間の経過を表現する際に用いられております。
中古(平安時代)になりますと、優雅で流れるような話し方を「滔々」と表現し、
教養の高さを称える言葉として発展した経緯を持っております。

つまり、「滔々」とお書きの段階で、既に千曲川の水は何百年と流れて、
今も流れている訳ですから、動詞は無くても大丈夫なんですよね。
「滔々たり」という古語の形容動詞がありますが、古語の形容動詞の大半は、
語幹を取り外して名詞にできるのです。

私めからの添削案は、「助詞を変える事による「滔々」と「流れ」の名詞化」です。

・滔々の千曲の流れ風光る

これで、春の穏やかな千曲川の流れと、水面の輝きを静止画的に切り取りながら、
同時に背景で千曲川は流れ続けています。「滔々」ですので。
季語「風光る」の輝きがワンランク上がりますよね。
川の流れの存在だけを淡々と書けてしまえるのが、
形容動詞の語幹だけ持ってくる名詞化の力ですよね。

以上でございます。お目通しいただき、感謝いたします。
 

点数: 1

みつかづさんの俳句添削依頼

最新の投稿順に並んでいます。回答が付いた投稿が先頭に移動します。

テイクオフ何も言はせぬ女王蜂

回答数 : 3

投稿日時:

春雨や買い物袋に春雨

回答数 : 11

投稿日時:

花見客厭はしげなる女王蜂

回答数 : 6

投稿日時:

壁を来し羽音せずなる女王蜂

回答数 : 2

投稿日時:

春の夜や寝る姪の鼻蹴つる稚児

回答数 : 10

投稿日時:

みつかづさんの添削依頼2ページ以降を見る

その他の添削依頼

庭の隅川越えて来し枯葉かな

作者名 中村あつこ 回答数 : 2

投稿日時:

牛道へ祈る人あり草いきれ

作者名 久田しげき 回答数 : 0

投稿日時:

はにかみてカメラ厭ひて春の蝶

作者名 杉田信女 回答数 : 3

投稿日時:

添削依頼をする!

「私はロボットではありません」にチェックを入れてください。

▼添削依頼された俳句の検索

▼添削と批評(返信)の検索

ページの先頭へ

俳句添削道場の使い方。お問い合わせ

関連コンテンツ