「来し方の山野しづかに春の雨」の批評
回答者 みつかづ
添削した俳句: 来し方の山野しづかに春の雨
再来失礼いたします。
「来し方(こしかた)」は仰る通り、これだけで1単語の名詞です。
意味も明智明秀さんが仰った通り。
ところが、「来し方(き/し/かた)」との品詞分解も可能ですし、
格助詞「の」の接続を受けて直後に来ている名詞が「山野」(場所)ですので、
「会社のお偉いさん? 登山仲間?」等と思われてしまいますと
句として損ではないか? という意味です。
つまり、明智明秀さんの意図である「自分の歩んで来た人生」と言う意味合いに、
確実に読者が辿れるか、誤読の余地があるかどうかの次元のお話なんですよね。
単語の意味を知っているか否かの問題ではなく、
「解釈の分かれ目の有無をどの様にコントロールするか」の事です。
どうしても来し方(こしかた)をお使いになりたいとの事であれば、
名詞をお変えになるか、語順をお変えになりますと誤読の余地は消えますよね。
例えば、以下の様に句跨りで。
A:今に来し方しづかなる春の雨
B:道を来し方しづかなる春の雨
C:山野来し方しづかなる春の雨
他にもやり方在るでしょうけど、要は「来し方(こしかた)を他の体言(名詞)に
係らせず、「きしかた」の読みを成立させない」事ですよね。特に場所を示す名詞。
A~Cの全て、来し方(こしかた)の直後に名詞が無くそこで切れて形容動詞で
カットが切り替わりますので、前に来ている名詞「今」、「道」、「山野」は、
読者にとっても作者の通過点でしかなくなります。第三者を想定しても、
「それ、誰なの? 作者や季語とはどの様なご関係で?」という事になりますので。
読者にお伝えなさりたい句意を限定なさりたい場合、それ以外の景の立ち上がりを
矛盾させてやりませんと、読者側では多義になって解釈が分かれて
しまいますよ、と。
ならば、解釈の分け目を無くしたい場合にどうしていくか? との事です。
以上でございます。幾度もお目通しいただき、感謝いたします。
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