「滔々と千曲は流れ風光る」の批評
凡さん、こんばんは。貴句、拝読いたしました。
千曲川の流れと季語
「風光る」の取り合わせで、水面もキラキラしていそうですね。
ただ、助詞の選択が惜しいな、と。
理由は、「滔々と」(形容動詞「滔々たり」の補助活用連用形。
現代語なら助詞「と」)+「は」なので、「流れ」が名詞ではなく動詞「流れる」
(古語なら「流る」)の連用形に見えてしまい、名詞「滔々」
(水が留まる事無く流れるさま)の説明になってしまうからです。
「流れ」を名詞にしてしまえば、説明にはならなくなります。
追記しますと、名詞「滔々」の語源を遡りますと元は中国発祥で、「滔」の漢字は
「水」偏に「舀(ヨウ)」で構成され、「舀」は「臼で水を汲む」様子を
表しています。これが転じて「水が大きく広がり流れる」意味を持ち、それを
重ねた「滔々」という表現が日本で生まれました。
『万葉集』や『古今和歌集』などの古典文学で、
水の流れや時間の経過を表現する際に用いられております。
中古(平安時代)になりますと、優雅で流れるような話し方を「滔々」と表現し、
教養の高さを称える言葉として発展した経緯を持っております。
つまり、「滔々」とお書きの段階で、既に千曲川の水は何百年と流れて、
今も流れている訳ですから、動詞は無くても大丈夫なんですよね。
「滔々たり」という古語の形容動詞がありますが、古語の形容動詞の大半は、
語幹を取り外して名詞にできるのです。
私めからの添削
案は、「助詞を変える事による「滔々」と「流れ」の名詞化」です。
・滔々の千曲の流れ風光る
これで、春の穏やかな千曲川の流れと、水面の輝きを静止画的に切り取りながら、
同時に背景で千曲川は流れ続けています。「滔々」ですので。
季語「風光る」の輝きがワンランク上がりますよね。
川の流れの存在だけを淡々と書けてしまえるのが、
形容動詞の語幹だけ持ってくる名詞化の力ですよね。
以上でございます。お目通しいただき、感謝いたします。
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千曲川は殆ど毎日見ていますが、春の午後の陽を受けて流れる様は、まさに滔々と、です。