「花冷えの雨や首筋伝ひたる」の批評
回答者 みつかづ
添削した俳句: 花冷えの雨や首筋伝ひたる
凡さん。再来失礼いたします。
私めが先のコメントで書き漏らしておりました、
イサクさんのお書きの、「下五を連体形で終え、句中に戻る」技巧についてです。
確かに俳句にその様な技巧は存在しており、
イサクさんが例として挙げられた句では成立しております。
それらの句では、下五が前へ戻る事によって牛の様子や、人が賞与によって
値踏みされる世相といった像や意味が、無理なく自然に深まっております。
ですので、「連体形で終わるから即ち不成立」 という事ではございません。
ただ、私めが気になりますのは、「文法上前に戻って読める」という事と、
「その読み戻りが、句において有効に働いている」という事とを
同一視してよいのかどうか? という点です。
貴句、「花冷えの雨や首筋伝ひたる」の「伝ひたる」は、読者にとって
まず「雨が首筋を伝っている状態」として受け取られ易い表現でしょう。
その為、文法上は前に戻って読めたとしても、読者の認識としては
「花冷えの雨や」で一度切れを感じ、後半の「首筋伝ひたる」が
それ自体でかなり感覚像として完結しかけるのではないでしょうか。
つまり、「前へ戻る事による余情や深み」 よりも、
寧ろ「一度切れたものを、後から再び回収させる読解上の負荷」の方が
前に出易い様に私めには感じられました。
私めが申し上げたいのは、
「読み戻りが可能かどうか」 だけで句の成否を見てしまいますと、
「その読み戻りが、句でどの様な美的効果、認識的効果を持つのか」という、
より本質的な部分が見えにくくなるのではないか? という事です。
以上でございます。幾度もお目通しいただき、感謝いたします。
点数: 1
