「花曇寝ぼけ眼に溶けし彩」の批評
回答者 みつかづ
添削した俳句: 花曇寝ぼけ眼に溶けし彩
こんにちは。貴句、拝読しました。
結論から申しますと、思考の泥沼にハマり、作者コメントを拝見するまで迷い続けました。これは流石に誤読や、「何を伝えたいのか読み解けない」という読者は少なくないのではないかと私は思いました。
又、「涙目で見た景色」まで考慮すると、添削のしようが無いと私は思いました。
以下、私の洞察です。結構読み入れたつもりです。
中七:「寝ぼけ眼」
「朝でしょうけど、昼寝から起きた可能性もある。一旦置いといて下五の意味考えよう」
↓
「溶けし彩。この彩は「だみ」、「さい」、「あや」のどれだろう?
文語体なので「だみ」の可能性も十分有り得る。
もし「だみ」ならば金泥や銀泥で彩色する事の意味なので、寝ぼけ眼に寝室に飾っている日本画がぼやけて見えたんだろう。となると、上五の季語「花曇」との関連性は何だろう?
「さい」なら、意味を考えると花曇なので外なのでしょうけど、だとすると、何故「溶けし」なんだろう? 外に行くまでの僅かの間に涙は乾いてるだろうから、「溶けし」は分かりにくいのではないか?
「あや」は文語体なので最も可能性は低いけど一応有り得る。作者のお袋さん、パートナー、同棲中の恋人の名前だとすると、作者を起こした彩さんの姿が、作者にぼやけて見えて、その姿越しの外が曇っていたのかもしれない。
この3つのうち、作者が伝えたいのは一体どれだろう? これはコメントを見るまで正直分からない。最悪、全部読み外してるかもしれない。」
彩が何の事であるのかを作者ご自身の中でハッキリさせた上で句に落とし込むと、読者は誤読や解読不能に陥る事は無いのではないかと、私は思いました。
添削例は既に挙げられておりますので、私からは、「字面から見た洞察について」をお送り致します。
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