俳句添削道場(投句と批評)

以下の俳句の添削・批評をお願いします!

長閑けしや桜と桃の花に蜂

作者 みつかづ  投稿日

コメント(俳句の意味。悩みどころ)

1年前の「右に花左に桃の遊歩道」の推敲句です。
蜂が主役ではありませんが、重要な働きをしているという事で。
https://weblike-tennsaku.ssl-lolipop.jp/haiku/corrections/view/24888

季語:長閑けし(主)、桜(副)、桃の花(副)、蜂(副)
4つのAI(ChatGPT、Google Gemini、Microsoft Copilot、Grok3)の評価は、
「季語4つなのに破綻していない」と上々でした。

推敲の過程
原句は実景をそのまま詠んだ

問題点
・往路と復路では左右が入れ変わり、読者は追体験しにくい
・時間帯、天候などが不明瞭(雨が降っている夜でも詠めてしまう句)
・「遊歩道」は読者にとっては二次的情報なので、句にとって特に必要ではない
→2つの季語を立てただけに終わってしまっている

あらちゃんさんの添削例
この小径桜と桃の花盛り

改善点
・左右問題。季語の明確化

問題点
・原句の問題点はまだ残っている

仮案(別の実景を重ねました)
遊歩道(またはこの小径)桜と桃の花に蜂

改善点
・色彩がより豊かになった(ピンク色の濃淡+橙色と黒)
・天候と時間帯の明確化(日中の晴れ、風は無風か微風でないと蜂は飛ばない)
・「~に蜂」の描写で蜂は少なくとも2頭だが、蜂の動きや多さ、種類は
 読者が自由に想像して、経験を元に追体験できる(作者の横を通過して
向かっているのか、花に止まろうとしているのか、既に止まっているのか、等)
・大(桜と桃の花)と小(蜂)、静と動の対比が現れ、句が活き活きし始めた
※ 蝶だと、桜の蜜を吸えない種類があります。

問題点
・句の主役(の季語の)不在
(季語3つに一切の描写が無いので、季節感は明瞭だが主役を譲り合っている)
・場所情報は要らない

→長閑けしや桜と桃の花に蜂

改善点
・3つの季語(桜、桃の花、蜂)は景としての機能に落ち着き、
 新たに登場した季語「長閑けし」が句の主役として全体を統べ、安定した。
・季語「長閑けし」と季語「蜂」が生み出すある種の矛盾と一瞬の緊張感
(作者の近くに蜂が2頭以上居るのに長閑? でも、作者はそれは含めて
「長閑だなあ」と言っているぞ?)

・名詞の形「長閑かな」では弱くてそこだけで完結し、後ろとのバランスが悪い
 形容動詞「長閑なり」では断定感が強過ぎて、矛盾の妙が消える
 敢えて形容詞を使う「長閑けし」+「や」が、意味の切れとして
最もバランスが取れていると判断。
→AI達も同意

さて、人間の評価はどうでしょうか?

最新の添削

「長閑けしや桜と桃の花に蜂」の批評

回答者

今晩は!チトばかり、時間が取れましたので、コメントを一言…。

「余白の取り方」。難しいですね。
さすれば、AIにお聞きなされては、如何ですかな?

 将棋と俳句は、違いますぞ!

句の評価:
★★★★★

点数: 2

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「長閑けしや桜と桃の花に蜂」の批評

回答者 鈴蘭

句の評価:
★★★★★

いえいえ、あまり突っ込んだ話を人とすることもないので、むしろお付き合いいただきありがとうございます。たまには意見を戦わせてみましょうか。

少し誤解を解いておきたいのですが、私が言った評価というのは点数付けという意味ではなく、フィードバックを多分に含む概念です。良い・悪いもフィードバックですからそれを点数付けと言われればそうですが、0点!100点!60点!なんて付け方をする人はあんまりここにはいません。なんとなくの印象をなんとなく言語化するのは、一応フィードバックと言ってよいと思っています。

作品自体への読みの提示はしておりまして、「ひとつひとつ説明されているように感じた」ということです。また、みつかづさんにとっては「あんまり自分の狙いが伝わらなかったな」というフィードバックにもなっているのではないでしょうか。もちろん、一般的な俳句の読み方をしたからこう感じるのであって、なにか別の読み方のプロトコルに則れば違う景色が見えるのかもしれませんが、それは私にはインストールされていませんし、する機会も転がっていませんでした。

初歩的な読み方というのは、たとえば切れと取り合わせのようなレベルの話です。「区別を持ち出すことは、鑑賞者の発展の可能性を狭める」ということ、私も考えたことがあるのでお気持ちはよくわかります。見て分からない文なんて文ではないだろうと思った時期があります。ただ現実問題、たとえば「金色の仏ぞおはす蕨かな」を「蕨に仏がいる」と読んでしまったり(これは昔の私ですが)、極論「や」の意味を知らなければ「花散るや屋根職人の大笑ひ」を「花が散ったり、屋根職人の大笑い」と読んでしまうとか、そういうことが起こり得てしまうジャンルだと思うんです。多少の約束ごとを知ったうえで鑑賞しないと意図を汲み取れないという制約が、現実問題としてある。ここを表現者としてどう扱うかですよね。

ただ作品をぽんと置いて、何も知らない人に「読んで」と言って突きつけるのは、若干この、伝える努力の適用範囲内ではないかと最近思うんですよ。極端な話、自分が開発した人工言語で俳句を作るようなもので。作者にはわかるし、芸術作品としては面白いけれど、読み手には伝わらない。みつかづさんの句も私にとってはそれで、みつかづさんの要求する読み方が私の中にないので読み取れない、よって作品世界を探索することが難しいんです。

ここで作者が取れる手は2つあり、ひとつは読み手にわかる形に噛み砕くことですよね。でもこれはみつかづさんは選ばない。それでよい、というのであれば言うことはありません。ただそれは文芸というより芸術の文脈だという気がします。人に読んで解釈してもらうことをそもそも想定しているのか。どのへんの、どのくらいの人に届かせたいのか。

おそらく、現代の俳句のシーン、このサイトのメンバーの傾向を認識したうえで、あえてそれを出す姿勢を含めての作品なのでしょうけれども、そこまで認識して評価するからこそ言わせていただければ、出す場が違う、もったいなくないか、と言うフィードバックをさせていただいたわけです。思っただけです、投稿することはもちろん構いません。もっとこう俳壇のトップあたりに突きつけるべき姿勢であって、俳句道場でこれを「磨く」のは難しく、磨くとするなら、場そのものではないか、というのが私の初見の感想だったわけです。感想であって、投稿するなというわけではありません。ややこしいですが伝わりますでしょうか?

観念的・実験的な句を投句してはならないわけではない、ということは先のコメントで明言しております。句風を取り締まったつもりなど一切ありません。ただその実験句の中でも特にみつかづさんの考え方が知りたくて、率直なコメント(フィードバック)をぶつけさせていただいたのであり、それこそがこの道場の意義ではないか?と私は考えています。

長くなりましたが、きっと「一読で理解されるのが良い俳句だ」という概念に向けてのアンチテーゼなのでしょう(言い過ぎでしょうか?)そこまで自覚されているのであれば、本当に特に何も言うことはありません。それを阻害したら俳句の発展はないですからね。ただ一読者として、今回は刺さらなかったなぁ……という素直な感想を置くのみです。この手法でおおっと思うものができたら、それこそブレイクスルーでしょう。迎合など不要、お互いに良いと思うところを吸収できれば、それでよいと思っています。

実際、このへん最近色々と思うところがあったのですよね。もしみつかづさんも自論などあれば、せっかくなので伺いたいです。

点数: 4

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「長閑けしや桜と桃の花に蜂」の批評

回答者 ヒッチ俳句

句の評価:
★★★★★

みつかづさんこんばんは。
拙句、蜜蜂の句にコメントありがとうございました。
蜜蜂が安全に飛び回れる環境(日和)であると考察して頂きありがとうございます。
それにしても、みつかづさんは蜂の生態に詳しいですね。(また、蜂の句をいくつか詠まれていますね。)
ところで、みつかづさんと鈴蘭さんの俳句談議(文芸論?芸術論?)も拝見させて頂きました。
私などは、ただ趣味として俳句を楽しんでいますのでお二人のような高度な文芸論はお聞きするだけで頭が痛くなりそうです。(笑)
ただ、みつかづさんの主張や取り組まれている句についてはなんとな~くですが分かる気はします。勿論好きな句もあります。
(今までのみつかづさんの句の中に。)
また、鈴蘭さんの主張も頷かされますね。
私は絵画の知識が殆どありません。
見て直ぐに分かる風景画や静物画であればある程度の良し悪しは判断出来るかなあとは思いますが、それ以外となるとさっぱりです。本来、そう言う絵の鑑賞の仕方と言うものがあるのでしょうね。
私が知らないだけで。
俳句もまた同じように、鑑賞の仕方があるのでしょうかね。
私は貴句を拝見して、静物画を思いました。白い皿に何種類もの、それはそれは美味しそうな果物が見事に描かれています。
素人の私が見ても実に素晴らしい絵だと思います。でも私は果物は見てるだけよりも食べる方が好きですね。(笑)
私はバナナが好物ですが、この絵の作者はどれが好きなんだろう?
とか考えました。話が少し脱線ぎみですみません。
「長閑」「桜の花」「桃の花」「蜂」
これらがお皿に盛られています。
さて、作者はどれが一番好きなんだろう?

とりとめのないコメントになってしまいました。お許しあれ。

点数: 3

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「長閑けしや桜と桃の花に蜂」の批評

回答者 鈴蘭

句の評価:
★★★★★

こんにちは、拝見しました。
おー、AIを駆使されているのですね。
もう類想句くらいまでなら作れるポテンシャルはありますよね。ネタ出し機としては上々、でも基本的に何でも褒めてくるという印象があります。

自分としては、ここまで季語を重ねる必要があるのかどうかというところに目が行きました。決して「季語は一つでなければならない」という規範意識の話ではなく、単純に景として、一読で「おお!いいなぁ!」とはならなかったということです。感覚的なもので、すぐ言語化はできないのですが。長閑で、桜と桃が咲いていて、蜂が来ていると一つ一つ説明されたようで、一撃の感動ではないというか。全部揃った景が詠みたいのはわかりますが、読み手はそれを見ていないので、悲しいことに文字に起こしただけでは感動全体を共有できません。よって切り取りの腕が必要、これが文学としての写生句であると思います。もっとフォーカスできるのでは。

本句はまず「長閑しや」が一般に言う説明になっており(季語ですが後半と近すぎる感じ)、ここを言わずとも感じられるようにする工夫があるとよいと思います。まあ「昔から一般にそういう俳句が良いと言われている」だけとも言えますが、自分はそれに同意していて、読み手に自ら「のどかだな」と思わせる方が打率が高いというか、自分が読んでもその方が素直に感動できる実感があります。捻くれ者なので、「いや別に本当に長閑だったかどうかは知らん。自分は少なくともそう思わない」みたいなことがつい頭を過ぎるので。でも「ぶーん」みたいな蜂の羽音を提示されると「長閑だなぁ…」となるんですからちょろいものです。ここまで効果があるなら使った方がお得な手法だと考えます。

桜と桃はどちらもすごく似てますし、重ねなくてよいんじゃないでしょうか。桜を読むと桜が目立ってしまうから、自分なら主眼は桃にします。桃しか登場していないからといって、その場に桃しかなかったことにはなりません。春の風景の一部としての桃であり、その場に菫や桜もあったかもしれないとイメージするのは読み手のスキルと心です。

さて蜂も季重なりですが、これも究極的には詠まなくても成立しますね、仰るように重心次第です。とはいえ、花と虫程度なら重ねても成立しやすい感じはありますね。たとえば、

熊蜂の止まりて桃の花弁落つ
蜂一つ一つと潜る桃の花

もし感動の焦点が「長閑さ」にあったのなら、蜂という忙しないものを持ってくるのは対比として面白いですが、それならちゃんと忙しそうにさせると良いです。桜や桃だけだとちょっとつきすぎですかね。工夫次第かもしれませんが。

長閑さや桜の蜂を払ひつつ

ひとつ付け加えると、見た景色はあくまで素材であると思う方がやりやすいと思います。写生の目的には「人に良いと思わせること」がやむを得ず含まれます。すると正確な景が桜と桃の揃い踏みだったとしても、それを絶対に表し切る必要はないです。読み手は現実がどうだったかは気にしません。そこの枠を外すことが自分の場合は効果的だったと感じています。

点数: 2

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「長閑けしや桜と桃の花に蜂」の批評

回答者 鈴蘭

句の評価:
★★★★★

なるほど、何か軸があっての表現方法なのですね。
となると、発表の場を考える方向にシフトした方がよいかもしれませんね。

王道の写生句もそうであるように、俳句は読み方(詠みかたではなく読みかた)がわからないと鑑賞しきれないという大きな弱点があります。また俳句に限らず、芸術とはある程度、それを評価する場や権威によって評価されるもので、たとえば絵画コンテストに写真を出したら多分見てすらもらえませんし、油彩静物画の集いで水彩抽象画を描いていてもまた正しく評価されることはないでしょう。写真は写真の、水彩抽象画は水彩抽象画の場に持っていかないと、その価値は埋もれてしまいます。

そういう観点から言って、この句をその思想まで含めて鑑賞しきれる人がここにいるかというと怪しい気がします。まず初歩的な読み方から学んでいる人もそこそこいる中、ここでみつかづさんの求めるものは得られるのだろうかと素朴な疑問が浮かびました。

もちろん発表するなというわけではないのですが、お返事を見てから「アドバイス」をするならそうなります。評価をしてほしいのなら、出す場がちょっと違うのではないかと。とはいえ、出すこと自体は自由です。何らか、作者さまにも、読み手のためにもなる経験ができるとよいですね。

点数: 1

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「長閑けしや桜と桃の花に蜂」の批評

回答者 流瑠

句の評価:
★★★★★

こんばんは。るるです。
【芍薬や】へのコメントをありがとうございます。
情報量については、たしかにキャパオーバーかもですね。
まだまだ勉強いたします。

御句
読み味わう技量がなく申し訳ありません。のどかな風景が浮かびました。

素敵な句をありがとうございます。
またよろしくお願いいたします。

点数: 1

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