「軒並みに注ぎ込みけり夕焼けを」の批評
回答者 げばげば
こんにちは。げばげばと申します。
御句。眼目は注ぐにあるのですね。
夕焼けなら、光る、輝く、照るなどは含まれるので、表さなくてよい、包む、などは、類想の範疇にあり。
まるで、だれかが注いだかのようだ、という見立てなわけですね。しかも、直喩にせず断定することで詩にしたい意図も感じます。注ぐがごとく、とか直喩にすると安置ですもんね。
しかも、下五に季語を持ってきて、何を注ぐの?と思わせて、おお、夕焼けが家並みに満ちているのだと一気に光景を広げる意図も見えます。
いろいろ工夫されているので、そのままいただきたい感じもあります。
「かな」なんてどうですか?
私はこう感じたのですが、あなたはどうですか?とそっと感動を手渡すようなイメージの切れです。
家並みへ注ぎ込む春夕焼かな
点数: 1
添削のお礼として、げばげばさんの俳句の感想を書いてください >>
こんばんは、いつもお世話になっております。
夏の季語の「夕焼け」のかわりに、春の季語にすれば良かったか悩んでいます。
例えば「春の夕」「春夕を」など…
ただし、夕焼けに反射されて、軒並みがオレンジに輝くイメージは薄くなるかなと思いました。
まるで夕焼けが自分の色を注ぎこんでいるようなイメージですね。
宜しくお願いします。