「初恋の足に確かむ春炬燵」の批評
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添削した俳句: 初恋の足に確かむ春炬燵
再訪です
梅が香句へのコメントありがとうございました
確かに少し大仰でしたね、、、
同じような内容の頓さんのコメントにも票が集まってますし、、
ちょっと自分の詩に溺れちゃいました
反省します、、
今後ともビシバシご指導よろしくお願いします!
点数: 1
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添削した俳句: 初恋の足に確かむ春炬燵
再訪です
梅が香句へのコメントありがとうございました
確かに少し大仰でしたね、、、
同じような内容の頓さんのコメントにも票が集まってますし、、
ちょっと自分の詩に溺れちゃいました
反省します、、
今後ともビシバシご指導よろしくお願いします!
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添削した俳句: 側溝に消えたコインや春霞
めいさん、こんにちは
梅が香句へのコメントありがとうございました
提案句もありがとうございます
でも、それ以上にとりあえず本道場をさる、、という話でないことに安堵しました
一応、本句含めて今後もコメントはさせてもらおうかと思ってますが、もし私のコメントがご迷惑であればその旨返信ください
出来ましたら今後ともよろしくお願いします
点数: 0
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添削した俳句: 側溝に消えたコインや春霞
再訪です
御句拝読しました
うーん、私は本句の中でほどよい距離に季語はあると思いました
ただ、コインだと色々あるので硬貨の方がイメージしやすいかな、程度でしょうか
うーん、どうかなぁ、、(自信なし
ともあれ、本句このままいただきます
今後ともよろしくお願いします
点数: 0
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添削した俳句: 観覧車覗くは我か淡雪か
田上大輔さん、こんにちは
御句拝読しました
深淵を覗く時深淵もまたこちらを覗いている
かなり意味は異なりますが上記を思い浮かべました
本句、読みが少しぶれる気がしますが私は「観覧車/覗くは我か淡雪か」との明確な切れで、「私は観覧車に乗っていて外の淡雪を眺めている、、つもりだが実際には淡雪に覗かれているのかもしれない」と読みました
実在の主体はどこにあるのか客観的に見るとそれはあやふやである、との感じを受けました
そういう意味で普通は吾を使いたくなるところ、我としているのもはまっていると思います
ただ、雪シリーズの季語なので本句季語が粉雪等に動かないかどうかは少し気になるところです
しかし、変えてもまぁ詩情は変わらず確保されるので本句このままいただきます
なお、田上さんはIT俳句会のサイトの方で盛んに活動されている方ですよね
一度、あちらの方にお聞きしたかったのですが、本添削道場ではなくあちらを使われる理由とかあったりするのでしょうか?
差し支えなければご教示いただけると嬉しいです
あちらの方は反応があるのかないのか少し分からなかったため利用していなかったので、、
またのご投句お待ちしております
点数: 1
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添削した俳句: 汝をのせて回転木馬陽炎へる
いちさん、こんにちは
御句拝読しました
私もどちらかと言えば吾子のせての方が好みでしょうか
汝という固い呼び名と遊具との親和性やそもそもの文字数のリズム的にもですね
ただ、それよりも一番気になるのが「陽炎」の用法でしょうか
コメントを見ると少しばかり陽炎を比喩のように使っているようにも見えます
そうすると陽炎の景はなく季語としての力が少し弱いかと思いました
また、実際の景とすると陽炎としてみえる距離感の関係で、回転木馬と観察主体の距離が離れすぎているようにも感じます
苦肉の策としては陽炎と木馬を切り離す感じでしょうか
陽炎や吾子乗せ木馬回りをり
今後ともよろしくお願いします
点数: 1
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